[1] 正しい教えに従って行う者は、近づいて来る来世のことで怖がることもなければ、過ぎ去って行った現世について悲しむこともない(ムヤッサル7頁参照)。
[1] 全ての啓典と使徒*を信じ、アッラー*の教えに従うこと(前掲書、同頁参照)。アーヤ*27も参照。 [2] つまり現世における慈悲と、来世における救いのこと(前掲書、同頁参照)。
[1] 「恭順」と訳した原語は「ハシャア(慎ましくあること)」の派生形。静けさと慎(つつ)ましさが身体においても表れているような、心の状態のこと(アル=クルトゥビー1:374参照)。ここではアッラー*に対し慎み深く、かれへの服従において従順で、かれへの怖れゆえに謙虚(けんきょ)な者たちのことを指す(アッ=タバリー1:375参照)。
[1] このアーヤ*は、不信仰のまま悔悟(かいご)することなく、死を迎えた者に対して下ったものとされる。というのも、復活の日*の執り成しが起こることは、信憑(しんぴょう)性の高い多くの伝承によって確証されているからである(アッ=タバリー1:382‐383)。例えば、預言者*ムハンマド*には復活の日*、彼の共同体に対し、執り成しの大きな権限が与えられる(ムスリム「信仰の書」345参照)。ター・ハー章109も参照。