[1] 学者によってその数や特定の仕方は異なるが、クルアーン*のアーヤ*には、後に下がった別のアーヤ*の規定によってその規定が撤回されたものと、代替(だいたい)なしにその規定が撤回されたもの(学者間の意見が一致しているものの例としては、抗弁する女章12)がある(アッ=ルーミー「クルアーン諸学研究」416‐417頁参照)。またアッラー*のご決定により、アーヤ*そのもが、そこに含まれる規定もろとも消滅したケースもある(同書413頁参照)。雷鳴章39、蜜蜂章101とその訳注も参照。
[1] ムーサー*がイスラーイールの子ら*の無理難題に苦労した(アーヤ*55など参照)ように、預言者*ムハンマド*も、周囲の不信仰者*たちから奇跡を起こすことなど、様々な注文をつけられた(家畜章109‐110、ユーヌス*章97、夜の旅章90‐93、ター・ハー章133、預言者*たち章5、識別章7‐8、創成者*章42も参照)。
[1] 彼らとの戦いの許可のこと(ムヤッサル17頁参照)。雌牛章190、悔悟章29、巡礼*章39なども参照。
[1] 「善を尽くす」(蜜蜂章128の訳注も参照)とは、アッラーへの服従において、その使徒の教えに忠実に従うこと(イブン・カスィール1:385参照)。「アッラーのみに顔を向けて服従する」とは、口や心や身体を含む全身全霊でもって、真摯(しんし)にアッラーに従うこと。ここで「顔」のみが言及されているのは、顔が人間の身体で、最も高貴な部位であるためとされる(アッ=タバリー3:1724参照)。この「イスラームの教えの遵守」と「アッラーに対する真摯さ」という二つが揃(そろ)って初めて、行為は受け入れられる(イブン・カスィール1:385参照)。 [2] 「怖れもなければ、悲しむこともない」については、アーヤ*38の訳注を参照。