[1] 「アッラー*の呪い」については、雌牛章88の訳注を参照。
[1] この障壁が、すなわち高壁のことである、とされる(ムヤッサル156頁参照)。一説にこれは、鉄章13に登場する壁のこと(アッ=タバリー5:3517参照)。 [2] この「高壁の民」は、現世での善行と悪行が同等であったため、天国・地獄のいずれに入ることも許されてはいない者たちのこととされる(イブン・カスィール3:418-420参照)。尚、天国の民の「目印」とは、顔の美しさと白さ(イムラーン家章107参照)で、地獄の民の「目印」は顔の醜(みにく)さと黒さ(イムラーン家章106参照)である、と言われる(アル=クルトゥビー7:212参照)。 [3] 「あなた方に平安を」については、雷鳴章24の訳注を参照。
[1] 不信仰者*の内でも、その指導者的な地位にあった者たち(ムヤッサル156頁参照)。 [2] 「集めていたもの」とは、財産や仲間など。「思い上がっていたこと」とは、アッラー*への信仰と、真理を受容することに対する思い上がりのこと(前掲書、同頁参照)。
[1] 「これらの者たち」とは、現世において弱く、貧しかった信仰者たちのことである、とされる(前掲書、同頁参照)。家畜章53とその訳注も参照。 [2] 「ご慈悲に与からせるかこと」とは、天国に入れて下さること(前掲書、同頁参照)。 [3] 「怖れもなければ、悲しむこともない」については、雌牛章38の訳注を参照。
[1] 彼らが、復活の日*の拝謁(はいえつ)を「忘れた」というのは、彼らがそのために現世で努力することを放棄(ほうき)したことを、そしてアッラー*が「彼らのことを忘れる」とは、彼らを地獄に置き去りにすることを意味する、と言われる(前掲書、同頁参照)。