[1] この「怒りと悲しみ」は、彼がアッラー*から、民がサーミリーによって不信仰に走ったことを知らされたため(ムヤッサル169頁参照)。詳しくは、ター・ハー章85を参照。 [2] この「定め」には、「四十日間の約束(雌牛章51「四十夜」の訳注を参照)」「主*のお怒り」「主*のご命令もないままに、仔牛の崇拝*へと急いだこと」といった解釈がある(アル=クルトゥビー7:288参照)。 [3] イブン・カスィール*によれば、大半の学者は、ムーサー*が「碑板を投げ」たのは、民への怒りゆえのことであったとしている(3:477参照)。 [4] ムーサー*とハールーン*の父母は、そもそも同一。この言い回しは、母親を前面に出すことによって、より相手の同情を引くための修辞的表現であるとされる(アッ=タバリー5:3645参照)。
[1] 彼らの内の愚か者が仔牛の件で犯した罪(アーヤ*148以降参照)に関し、アッラー*に悔悟するため、シナイ山に赴(おもむ)く「約束の時」のこと(ムヤッサル169頁参照)。 [2] 一説に、この激震による罰の原因は、彼らがムーサー*に、雌牛章55にあるような言葉を言ったせいであり、これによって彼らは死んでしまったとされる(前掲書、同頁参照)。 [3] イスラーイールの子ら*の内、選り抜きの七十人が死んでしまったら、ムーサー*は残った民のところへ戻って行った時、彼らに何と言い訳していいか分からなくなる。もし、これ以前に民が全滅させられていたら、その方がむしろムーサー*にとってはましだったのである(ムヤッサル169頁参照)。