[1] アッラー*が創造物に対してお喜びになり、使徒*たちに託(たく)して遣(つか)わし、それ以外のものはお受け入れにはならない「宗教」のこと(ムヤッサル52頁参照)。アーヤ*85も参照。 [2] この「知識」は、使徒*や啓典のこと(前掲書、同頁参照)。相談章14の訳注も参照。 [3] この「侵犯」については、雌牛章213の訳注を参照。 [4] この「御徴」は、クルアーン*のアーヤ*、及びアッラーの唯一性*を示す証拠のこと(前掲書、同頁参照)。
[1] 「アッラー*にのみ顔を向け、服従する」については、雌牛章112の訳注を参照。 [2] アラブ人を筆頭(ひっとう)とする、シルク*の徒のこと(前掲書、同頁参照)。合同礼拝章2の同語に関する訳注も参照。 [3] この質問は命令の意味を含む、アラビア語に言い回し(アッ=タバリー3:1725参照)。
[1] この「御徴」は、クルアーン*と使徒*ムハンマド*のこと(イブン・アル=ジャウズィー1:365参照)。 [2] つまり善事を命じ、悪事を禁じる者たち(アッ=サァディー126頁参照)。アーヤ*104とその訳注も参照。 [3] 預言者*たちを殺害したのは、ここで語り掛けられている預言者*ムハンマド*時代の啓典の民*の、先祖である。しかし、彼らが先祖のそのような行いに満足していたことから、それが彼ら自身の行いであるかのように表現されている(アブー・ハイヤーン2:314参照)。 4「吉報を告げること(ダブシール)は本来、喜ばしい知らせに用いられる。しかしここでは、彼らへの蔑(さげす)みを表す、修辞的表現として用いられている(イブン・アーシュール3:207参照)。