ការបកប្រែអត្ថន័យគួរអាន - ការបកប្រែជាភាសាជប៉ុន - សាអុីទ សាតូ

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69 : 6

وَمَا عَلَى ٱلَّذِينَ يَتَّقُونَ مِنۡ حِسَابِهِم مِّن شَيۡءٖ وَلَٰكِن ذِكۡرَىٰ لَعَلَّهُمۡ يَتَّقُونَ

そして(アッラー*を)畏れる*者たちは、彼らの勘定[1]において、いかなる責任も問われない。しかし彼らが(アッラー*を)畏れる*べく、訓戒を(与えよ)。 info

[1] 「彼らの勘定」とは、クルアーン*を嘲笑しつつ語っている者たちに対する、アッラー*の清算のこと(ムヤッサル136頁参照)。

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70 : 6

وَذَرِ ٱلَّذِينَ ٱتَّخَذُواْ دِينَهُمۡ لَعِبٗا وَلَهۡوٗا وَغَرَّتۡهُمُ ٱلۡحَيَوٰةُ ٱلدُّنۡيَاۚ وَذَكِّرۡ بِهِۦٓ أَن تُبۡسَلَ نَفۡسُۢ بِمَا كَسَبَتۡ لَيۡسَ لَهَا مِن دُونِ ٱللَّهِ وَلِيّٞ وَلَا شَفِيعٞ وَإِن تَعۡدِلۡ كُلَّ عَدۡلٖ لَّا يُؤۡخَذۡ مِنۡهَآۗ أُوْلَٰٓئِكَ ٱلَّذِينَ أُبۡسِلُواْ بِمَا كَسَبُواْۖ لَهُمۡ شَرَابٞ مِّنۡ حَمِيمٖ وَعَذَابٌ أَلِيمُۢ بِمَا كَانُواْ يَكۡفُرُونَ

(使徒*よ、)自分たちの宗教[1]を遊興と戯れごととし、現世の生活に欺かれた者たちは、放っておけ。また、人が自分で稼いだもの[2]ゆえに(あらゆる善を)差し止められぬよう、それ(クルアーン*)で教訓を与えよ。彼にはアッラー*の外、いかなる庇護者*も執り成し手もないのだ。また、たとえあらゆる代償を払っても、彼から受け入れてはもらえない。それらの者たちは、自分の稼いだものゆえ、(あらゆる善を)差し止められた者たちである。彼らには、彼らが不信仰に陥っていたことゆえの、煮えたぎる湯の飲み物と、痛ましい懲罰があるのだ。 info

[1] イスラーム*のこと(前掲書、同頁参照)。 [2] この「稼いだもの」とは、罪と、自分の主*に対する不信仰のこと(前掲書、同頁参照)。

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71 : 6

قُلۡ أَنَدۡعُواْ مِن دُونِ ٱللَّهِ مَا لَا يَنفَعُنَا وَلَا يَضُرُّنَا وَنُرَدُّ عَلَىٰٓ أَعۡقَابِنَا بَعۡدَ إِذۡ هَدَىٰنَا ٱللَّهُ كَٱلَّذِي ٱسۡتَهۡوَتۡهُ ٱلشَّيَٰطِينُ فِي ٱلۡأَرۡضِ حَيۡرَانَ لَهُۥٓ أَصۡحَٰبٞ يَدۡعُونَهُۥٓ إِلَى ٱلۡهُدَى ٱئۡتِنَاۗ قُلۡ إِنَّ هُدَى ٱللَّهِ هُوَ ٱلۡهُدَىٰۖ وَأُمِرۡنَا لِنُسۡلِمَ لِرَبِّ ٱلۡعَٰلَمِينَ

(使徒*よ、)言ってやるがいい。「一体私たちが、アッラー*を差しおいて、私たちを益することもなければ、害することもないものに祈るというのか?また、アッラー*が私たちを導かれた後に、私たちが自分たちの後方へ引き返す[1]とでも?ちょうど、『私たちのもとに来なさい』と導きに呼びかける(信仰者の)仲間たちがあるにも関わらず、シャイターン*どもに唆され、地上で迷ってしまった者のように?」言うのだ。「本当にアッラー*のお導きこそ、(真の)導きである。そして私たちは、全創造物の主*に服従(イスラーム*)するよう命じられたのだ」。 info

[1] 「後方へ引き返す」とは、不信仰へ戻ることを指す(前掲書、同頁参照)。

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72 : 6

وَأَنۡ أَقِيمُواْ ٱلصَّلَوٰةَ وَٱتَّقُوهُۚ وَهُوَ ٱلَّذِيٓ إِلَيۡهِ تُحۡشَرُونَ

また(、私たちは)礼拝を遵守*し、かれを畏れ*よ、と(命じられた)。かれは(復活の日*)、あなた方がその御許へと召集されるお方である。 info
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73 : 6

وَهُوَ ٱلَّذِي خَلَقَ ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضَ بِٱلۡحَقِّۖ وَيَوۡمَ يَقُولُ كُن فَيَكُونُۚ قَوۡلُهُ ٱلۡحَقُّۚ وَلَهُ ٱلۡمُلۡكُ يَوۡمَ يُنفَخُ فِي ٱلصُّورِۚ عَٰلِمُ ٱلۡغَيۡبِ وَٱلشَّهَٰدَةِۚ وَهُوَ ٱلۡحَكِيمُ ٱلۡخَبِيرُ

また、かれは、真実によって諸天と大地をお創りになったお方[1]。かれが「あれ」と仰せられれば、即そのようになる(復活の)日*のこと(を思い起こさせよ)。かれの御言葉は、真実。角笛に吹き込まれるその日[2]、かれにこそ王権は属する[3]。(かれは)不可視の世界*も、現象界[4]もご存知のお方。そしてかれは、英知あふれる*お方、(全てに)通暁されたお方なのだ。 info

[1] イムラーン家章191「我らが主*よ、・・・ありません」の訳注も参照。 [2] この角笛が天使*イスラーフィールによって一回目に吹き鳴らされると、全ては息絶え、二回目に吹き鳴らされると、それらが復活する(アル=クルトゥビー7:20参照)。 [3] そもそも全ての王権はアッラー*に属するが、復活の日*には、かれ以外に王を名乗る者がいなくなる(アッ=サァディー261頁参照)。 [4] 「現象界」とは、人々が目にし、知ることのできる物事のこと(イブン・カスィール7:309参照)。

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