[1] アッラー*は人々の間に、貧富や強弱などの差をお付けになった。こうして彼らはアッラー*からの試練として、お互いに依存し合うのである(ムヤッサル134頁参照)。金の装飾章32も参照。 [2] マッカ*時代初期においてイスラーム*を受容した者の多くは、社会的に弱い立場にあった男女の自由民や奴隷*であった。クライシュ族*の不信仰者*らは彼らを見下し、「もしそれ(イスラーム*への導き)が善いものならば、アッラー*は私たちを差しおいて、あのような者たちを善へとお導きになるはずがない」と主張したのだった(イブン・カスィール3:261参照)。マルヤム*章73、砂丘章11も参照。
[1] この「御徴」はクルアーン*など、預言者*ムハンマド*の正直さを示す証拠のこと(ムヤッサル134頁参照)。 [2] ここで言及されている者たちとは、新しくイスラーム*を受容した後に預言者*のもとを訪れ、彼らが犯した過去の罪について質問した者たちである、という(アッ=タバリー4:3195参照)。 [3] 「あなた方に平安を」とは、あらゆる忌(い)まわしい物事からの無事を祈願する言葉。現世と来世における、信仰者どうしの挨拶である(アル=ジャザーイリー2:66参照)。 4「ご自身に慈悲をお定めになった」については、アーヤ*12の訳注を参照。
[1] つまりアッラー*から啓示された、その教え‐アッラー*のみの崇拝*‐における明白な理解を有している、ということ(前掲書、同頁参照)。 [2] 彼ら不信仰者*らへの懲罰のこと(前掲書、同頁参照)。不信仰者*らはそのあまりの不信心ゆえ、自分たちに早く懲罰を下してみよ、と嘲笑(ちょうしょう)したものだった。一説には、これは懲罰ではなく、奇跡のこと(アル=クルトゥビー6:436参照)。戦利品*章32、ユーヌス*章16、相談章18、階段章1-2なども参照。
[1] 教友*イブン・アッバース*によれば、これはルクマーン章34の中で言及されている五つの知識のことであるという(アル=ブハーリー4778参照)。 [2] この「湿っているもの」「乾いているもの」には、「水場と砂漠」「芽生えるものと芽生えないもの」「生命のあるものと死んだもの」「つまり全てのもの」といった解釈がある(アル=バガウィー2:130参照)。 [3] 「明白な書」とは、守られし碑板*のこと(ムヤッサル134頁参照)。 [4] 同様のアーヤ*として、婦人章40、ユーヌス*章61、サバア章3も参照。