[1] ハービール(アベル)とカービール(カイン)の話である、と言われる(イブン・カスィール3:82、ムヤッサル112頁参照)。 [2] 大半の解釈学者によれば、ハービールは羊飼いで、カービールは農夫だった。そして自分の持ち物の内、最良の羊を供物として捧げたハービールがアッラー*に受け入れられ、一方質の低い作物を供物としたカービールは受け入れられなかったのだという(イブン・カスィール3:85参照)。
[1] 「私の罪」とは、ハービールを殺害した罪のことで、「あなた自身の罪」とは、それ以前の彼の罪である、というのが大半の解釈学者の見解(アル=クルトゥビー6:137参照)。 [2] これは文字通りの願望ではなく、「私は、あなたを殺すよりは、自分があなたに殺されることを望む」という、二つの好ましくない物事の間の選択という意味合い(イブン・ジュザイ1:233参照)。
[1] この事件は人類史上の殺人であったゆえ、カービールは遺体に対していかに対処すべきかを知らなかった。そこでアッラー*は彼に、カラスが仲間の遺体を地面に埋(う)めるのを示され、埋葬(まいそう)の仕方を教えられたのだという(アッ=タバリー4:2831‐2834参照)。 [2] 「我が災いよ」とは、心配や後悔の念を表すアラビア語表現(アル=バイダーウィー2:318参照)。