Vertaling van de betekenissen Edele Qur'an - De Japanse vertaling - Said Sato

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105 : 17

وَبِٱلۡحَقِّ أَنزَلۡنَٰهُ وَبِٱلۡحَقِّ نَزَلَۗ وَمَآ أَرۡسَلۡنَٰكَ إِلَّا مُبَشِّرٗا وَنَذِيرٗا

われら*は、真理と共にそれ(クルアーン*)を下し、それは真理と共に下った[1]。そして(使徒*よ)、われら*があなたを遣わしたのは、吉報を伝え、警告を告げる者[2]としてに外ならない。 info

[1] クルアーン*は人々への命令、禁止、褒美、懲罰のために下され、また、真実と正義、改変からの保護と共に下った(前掲書、293頁参照)。 [2] 「吉報を伝え、警告を告げる」については、雌牛章119の訳注を参照。

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106 : 17

وَقُرۡءَانٗا فَرَقۡنَٰهُ لِتَقۡرَأَهُۥ عَلَى ٱلنَّاسِ عَلَىٰ مُكۡثٖ وَنَزَّلۡنَٰهُ تَنزِيلٗا

また(使徒*よ、われら*は)クルアーン*を(、あなたに下した)。われら*はそれを、あなたが人々に対してゆっくり誦むように明確に分け[1]、徐々に下した[2]のだ。 info

[1] つまりクルアーン*を明快なもの、完全案者とし、導きと迷妄(めいもう)、真理と虚妄(きょもう)をはっきりと分けるものとした、ということ(ムヤッサル293頁参照)。 [2]クルアーン*は明白かつ詳細にされ、完全なものとして仕上げられた。また一度に全部下されたのではなく二十三年(他説もあり)という年月をかけて、折々の出来事や状況に応じて徐々に下された(イブン・カスィール5:127、ムヤッサル293頁参照)。識別章32とその訳注も参照。

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107 : 17

قُلۡ ءَامِنُواْ بِهِۦٓ أَوۡ لَا تُؤۡمِنُوٓاْۚ إِنَّ ٱلَّذِينَ أُوتُواْ ٱلۡعِلۡمَ مِن قَبۡلِهِۦٓ إِذَا يُتۡلَىٰ عَلَيۡهِمۡ يَخِرُّونَۤ لِلۡأَذۡقَانِۤ سُجَّدٗاۤ

(使徒*よ、クルアーン*を嘘つき呼ばわりする者たちに、)言うのだ。「それを信じよ。あるいは、信じなくてもよい(、いずれにせよ、それは変わらず真理なのだから)」。本当にそれ(クルアーン*)の啓示)以前に知識(啓典)を授けられた者たちは、それ(クルアーン*)が彼らに読誦されれば、顔[1]を伏せつつ崩れ落ちてサジダ*する[2]のだ。 info

[1] 字義的には「あご」のこと。顔を深々と地面につける意味合いが含まれている(イブン・アーシュール15:234参照)。 [2] これは啓典の民*の内、クルアーン*を信じてイスラーム*を受け入れた信仰者たちの描写とされる(アル=バガウィー3:167参照)。

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108 : 17

وَيَقُولُونَ سُبۡحَٰنَ رَبِّنَآ إِن كَانَ وَعۡدُ رَبِّنَا لَمَفۡعُولٗا

そして彼らは、(こう)言うのである。「我らが主*に称え*あれ。本当に我らが主*のお約束[1]は、まさしく実現されることになっていたのだ」。 info

[1] クルアーン*を下し、預言者*ムハンマド*を遣わすという、彼らの啓典に示された「お約束」のこと(アル=ワーヒディー13:508参照)。

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109 : 17

وَيَخِرُّونَ لِلۡأَذۡقَانِ يَبۡكُونَ وَيَزِيدُهُمۡ خُشُوعٗا۩

そして、顔を伏せつつ泣きながら崩れ落ち、(クルアーン*を聴くことは、)彼らに更なる恭順さ[1]を上乗せする。(読誦のサジダ*) info

[1] 「恭順さ」については、雌牛章45の訳注を参照。

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110 : 17

قُلِ ٱدۡعُواْ ٱللَّهَ أَوِ ٱدۡعُواْ ٱلرَّحۡمَٰنَۖ أَيّٗا مَّا تَدۡعُواْ فَلَهُ ٱلۡأَسۡمَآءُ ٱلۡحُسۡنَىٰۚ وَلَا تَجۡهَرۡ بِصَلَاتِكَ وَلَا تُخَافِتۡ بِهَا وَٱبۡتَغِ بَيۡنَ ذَٰلِكَ سَبِيلٗا

(使徒*よ、シルク*の徒に)言うがよい。「アッラー*に祈るがよい。あるいは、慈悲あまねき*お方に祈ってもよい。(かれの美名の内の)いずれで呼ぼうと、最も美しい御名はかれにのみ属するのであ(り、かれは唯一なのであ)る[1]。そしてあなたの礼拝を声高にせず、低くもせず、その中間の道を求めよ[2]」。 info

[1] 一説にこのアーヤ*は、預言者*がアッラー*を、「慈悲あまねき*お方」「慈愛深き*お方」と異なる美名で呼びつつ祈っていたのを耳にした不信仰者*が、彼が複数の神に祈っているのだと誤解したことに関して下った(アッ=タバリー7:5279参照)。雷鳴章30とその訳注、預言者*たち章36、識別章60も参照。 [2] 一説にこのアーヤ*は、預言者*とその教友*たちがマッカ*で密かに礼拝していた時に下った。礼拝でクルアーン*読誦の声を上げれば、それを耳にした不信仰者*らがその悪口を言い、声を低めすぎれば、礼拝に参加する者たちに聞こえないという状況を避けるため、このようなご命令が下ったのだとういう(アル=ブハーリー4722参照)。また別の説では、ここでの「礼拝」は「祈願」のこと(前掲書4723参照)。

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111 : 17

وَقُلِ ٱلۡحَمۡدُ لِلَّهِ ٱلَّذِي لَمۡ يَتَّخِذۡ وَلَدٗا وَلَمۡ يَكُن لَّهُۥ شَرِيكٞ فِي ٱلۡمُلۡكِ وَلَمۡ يَكُن لَّهُۥ وَلِيّٞ مِّنَ ٱلذُّلِّۖ وَكَبِّرۡهُ تَكۡبِيرَۢا

また(使徒*よ)、言うのだ。「子供を持たず、王権においていかなる同位者もなく、屈辱ゆえのいかなる庇護者[1]もないアッラー*に、称賛*あれ」。そして、アッラー*の偉大さを称揚*するのだ。 info

[1] 屈辱から守ってくれる庇護者や、援助者など必要としない、ということ。つまり、かれは屈辱などからは無縁のお方である(アル=クルトゥビー10:345参照)。

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