[1] クルアーン*は人々への命令、禁止、褒美、懲罰のために下され、また、真実と正義、改変からの保護と共に下った(前掲書、293頁参照)。 [2] 「吉報を伝え、警告を告げる」については、雌牛章119の訳注を参照。
[1] つまりクルアーン*を明快なもの、完全案者とし、導きと迷妄(めいもう)、真理と虚妄(きょもう)をはっきりと分けるものとした、ということ(ムヤッサル293頁参照)。 [2]クルアーン*は明白かつ詳細にされ、完全なものとして仕上げられた。また一度に全部下されたのではなく二十三年(他説もあり)という年月をかけて、折々の出来事や状況に応じて徐々に下された(イブン・カスィール5:127、ムヤッサル293頁参照)。識別章32とその訳注も参照。
[1] 字義的には「あご」のこと。顔を深々と地面につける意味合いが含まれている(イブン・アーシュール15:234参照)。 [2] これは啓典の民*の内、クルアーン*を信じてイスラーム*を受け入れた信仰者たちの描写とされる(アル=バガウィー3:167参照)。
[1] 一説にこのアーヤ*は、預言者*がアッラー*を、「慈悲あまねき*お方」「慈愛深き*お方」と異なる美名で呼びつつ祈っていたのを耳にした不信仰者*が、彼が複数の神に祈っているのだと誤解したことに関して下った(アッ=タバリー7:5279参照)。雷鳴章30とその訳注、預言者*たち章36、識別章60も参照。 [2] 一説にこのアーヤ*は、預言者*とその教友*たちがマッカ*で密かに礼拝していた時に下った。礼拝でクルアーン*読誦の声を上げれば、それを耳にした不信仰者*らがその悪口を言い、声を低めすぎれば、礼拝に参加する者たちに聞こえないという状況を避けるため、このようなご命令が下ったのだとういう(アル=ブハーリー4722参照)。また別の説では、ここでの「礼拝」は「祈願」のこと(前掲書4723参照)。
[1] 屈辱から守ってくれる庇護者や、援助者など必要としない、ということ。つまり、かれは屈辱などからは無縁のお方である(アル=クルトゥビー10:345参照)。