Ibisobanuro bya qoran ntagatifu - Ibisobanuro bya Qur'an Ntagatifu mu rurimi rw'ikiyapani - Saeed Sato

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34 : 4

ٱلرِّجَالُ قَوَّٰمُونَ عَلَى ٱلنِّسَآءِ بِمَا فَضَّلَ ٱللَّهُ بَعۡضَهُمۡ عَلَىٰ بَعۡضٖ وَبِمَآ أَنفَقُواْ مِنۡ أَمۡوَٰلِهِمۡۚ فَٱلصَّٰلِحَٰتُ قَٰنِتَٰتٌ حَٰفِظَٰتٞ لِّلۡغَيۡبِ بِمَا حَفِظَ ٱللَّهُۚ وَٱلَّٰتِي تَخَافُونَ نُشُوزَهُنَّ فَعِظُوهُنَّ وَٱهۡجُرُوهُنَّ فِي ٱلۡمَضَاجِعِ وَٱضۡرِبُوهُنَّۖ فَإِنۡ أَطَعۡنَكُمۡ فَلَا تَبۡغُواْ عَلَيۡهِنَّ سَبِيلًاۗ إِنَّ ٱللَّهَ كَانَ عَلِيّٗا كَبِيرٗا

男たちは女たちの監護役である。それはアッラー*が、一方(女たち)よりも多くのものを他方(男たち)にお授けになったためであり、また彼らが(妻たちのために)自らの財産から拠出するためである。正しい*女たちとは従順[1]で、(夫の)不在にもアッラー*のご守護によってよく遵守する[2]者。そしてあなた方が(自分たちに対する)その不従順さを怖れる女たちは、(まずは)彼女らを(よき言葉で)戒め、(それでも効き目がなければ)寝室で彼女らを遠ざけ[3]、そして(それでも効き目がなければ、)叩くのだ[4]。もし彼女らがあなた方に従順にするのなら、彼女らに(それ以上の)咎め立てをするのではない。本当にアッラー*はもとより、至高の*お方、大いなる*お方であられる。 info

[1] アッラー*に、そして夫に対して従順なこと(前掲書84頁参照)。相手が夫であるかどうかに関わらず、ムスリム*にとっての服従とは、あくまでイスラーム*の教えと法に適ったことに関してである。預言者*は仰(おっしゃ)った:「ムスリム*は好むことにおいても嫌うことにおいても、(指導者の)言うことをよく聴き、服従する義務がある。但しアッラー*への不服従を命じられた場合は別であり、それを命じられた場合には聞き入れたり、服従したりしてはならない」(アル=ブハーリー7144参照)。 [2] 自分自身の貞節さを始め、夫の財産・家・秘密などを守ること(イブン・ジュザイ1:188参照)。 [3] 「寝室で彼女らを遠ざける」の解釈には、「一緒の寝具で寝ない」「寝る時に背中を向けて寝る」「性交しないことのたとえ」「同じ家で夜を過ごさない」という説がある(アッ=シャウカーニー1:738参照)。 [4] その目的はあくまで訓戒であり、身体的苦痛を味わわせることではない。ゆえに頭部などの急所を避け、傷や大きな痛みなどを与えない程度のものであるべきとされる(クウェイト法学大全24:10参照)。また一説には、それは細い木の枝で叩くことである(イブン・アビー・ハーティム4:944参照)。

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35 : 4

وَإِنۡ خِفۡتُمۡ شِقَاقَ بَيۡنِهِمَا فَٱبۡعَثُواْ حَكَمٗا مِّنۡ أَهۡلِهِۦ وَحَكَمٗا مِّنۡ أَهۡلِهَآ إِن يُرِيدَآ إِصۡلَٰحٗا يُوَفِّقِ ٱللَّهُ بَيۡنَهُمَآۗ إِنَّ ٱللَّهَ كَانَ عَلِيمًا خَبِيرٗا

(夫婦それぞれの後見人たちよ、)あなた方が(夫婦)両人の不和を知ったなら、(事情の調査と問題の解決に臨ませるべく、)彼の一族から一人の仲裁人と、彼女の一族から一人の仲裁人を遣わすのだ。もし(仲裁人)両人が(夫婦間の)改善を望むのであれば、アッラー*は(夫婦)両人の間を正しく導いて下さろうから[1]。本当にアッラー*はもとより、全知者、通暁されているお方。 info

[1] 一説には、一番目と二番目のいずれの「両人」ともに、仲裁人のこと。また一説には、いずれも夫婦のことを指す(アル=バイダーウィー2:186参照)。

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36 : 4

۞ وَٱعۡبُدُواْ ٱللَّهَ وَلَا تُشۡرِكُواْ بِهِۦ شَيۡـٔٗاۖ وَبِٱلۡوَٰلِدَيۡنِ إِحۡسَٰنٗا وَبِذِي ٱلۡقُرۡبَىٰ وَٱلۡيَتَٰمَىٰ وَٱلۡمَسَٰكِينِ وَٱلۡجَارِ ذِي ٱلۡقُرۡبَىٰ وَٱلۡجَارِ ٱلۡجُنُبِ وَٱلصَّاحِبِ بِٱلۡجَنۢبِ وَٱبۡنِ ٱلسَّبِيلِ وَمَا مَلَكَتۡ أَيۡمَٰنُكُمۡۗ إِنَّ ٱللَّهَ لَا يُحِبُّ مَن كَانَ مُخۡتَالٗا فَخُورًا

アッラー*を崇拝*し、かれと共に何ものをも並べてはならない[1]。そして両親に孝行し、親戚、孤児、貧者*、誓い隣人、遠い隣人[2]、道連れの仲間[3]、旅路(で苦境)にある者、あなた方の右手が所有する者(奴隷*)にも(、善行を尽くせ)。本当にアッラー*は、尊大ぶった者、高慢ちきな者をお好みにはならない。 info

[1] アッラー*以外に主があると信じたり、アッラー*以外のものに崇拝*行為を捧(ささ)げたりしてはならない、ということ(ムヤッサル84頁参照)。頻出名・用語解説の「アッラーの唯一性*」「シルク*」も参照。 [2] 「近い隣人」と「遠い隣人」の解釈には、「血縁上の距離」「家の距離」「宗教上の距離(つまり前者がムスリム*、後者が啓典の民*)」といった諸説がある(アッ=タバリー3:2311‐2314参照)。 [3] 「道連れの仲間」とは一説に、学習、仕事、製造、旅行など、全てのよいことにおける仲間。一説には、女性のこと(アル=バイダーウィー2:187参照)。

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37 : 4

ٱلَّذِينَ يَبۡخَلُونَ وَيَأۡمُرُونَ ٱلنَّاسَ بِٱلۡبُخۡلِ وَيَكۡتُمُونَ مَآ ءَاتَىٰهُمُ ٱللَّهُ مِن فَضۡلِهِۦۗ وَأَعۡتَدۡنَا لِلۡكَٰفِرِينَ عَذَابٗا مُّهِينٗا

(彼らは)けちで、人々にもまた吝嗇を勧め、アッラー*が彼らに授けて下さった恩恵を隠蔽する者たち[1]。われら*は、不信仰者*たちに屈辱的な懲罰を準備しておいた。 info

[1] 彼らが吝嗇し、隠蔽していたアッラー*からの恩恵の内でも最もたるものは、ムハンマド*の預言者*性の真実に関するものであった。彼らはそれを知っていたにも関わらず、その隠蔽に努めた(アッ=タバリー3:3231参照)。イムラーン家章180と、その訳注も参照。

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