[1] 外にも「アッラー*の道において奮闘する」「知識を求める」などの解釈がある(アル=バガウィー2:392参照)。原語「サーハ」にはそもそも、「移動する」「旅行する」といった意味があり、そこから一般に「イスラーム*において賞讃すべき旅をする」ことを指すのだ、という(イブン・アーシュール11:41参照)。 [2] 「善事を命じる」「悪事を禁じる」については、イムラーン家章104の訳注を参照。 [3] アッラー*から課せられた義務を果たし、命じられたことを行い、禁じられたことを避(さ)け、アッラー*への服従に従事し、かれがお定めになった掟を破らないこと(ムヤッサル205頁参照)。
[1] つまり、シルク*を犯したまま死んだことで、「火獄の徒」であることが確定したら、ということ(前掲書、同頁参照)。婦人章48も参照。
[1] イブラーヒーム*は父がムスリム*になることを望むがゆえに、彼の罪の赦しを乞うことを、彼に約束した。マルヤム*章47、試問される女章4も参照(アル=バガウィー2:395参照)。 [2] 「哀願する者」という訳をあてた語「アウワーフ」には、「よく祈る者」「慈愛深い者」「確信する者」「よくアッラー*を唱念する者」「よく嘆く者」「おそれ畏(かしこ)まり、恭順(雌牛章45参照)な者」など、様々な解釈がある(アル=クルトゥビー8:275参照)。
[1] つまりアッラー*は、まだ明白に禁じられてもいない物事(ここでは特に、シルク*の徒として亡くなった者の罪の赦しを乞うこと)を行ってしまった者に対して、「迷妄(めいもう)」の烙印(らくいん)を押されることはない(アッ=タバリー5:4141-4142参照)。
[1] タブークの戦い*は真夏の酷暑(こくしょ)、食料や水の不足、旅行用のラクダの欠如などが重なった、大変厳しい遠征だった(ムヤッサル205頁参照)。 [2] 「心が傾きかけた」のは、「信仰における確固さから」だとか、「困窮と苦難ゆえに(タブークの)戦いへの出征から」だとかいう解釈がある(イブン・ジュザイ1:372参照)。