[1] ジャーヒリーヤ*のアラブ人たちには、アッラー*によって定められた四つの神聖月*を守らず、戦争などの自分たちの都合に合わせ、ある神聖月*を遅らせたり早めたりし、その分を本来神聖月*でない月にあてがうという習慣があった(ムヤッサル193頁参照)。 [2] つまり不信仰に固執(こしつ)し、それをやめようとしない者は、真に求められるべき目的へと導かれることはない、の意味(アッ=シャウカーニ2:514参照)。
[1] このアーヤ*は、タブークの戦い*への出征に関して下った。当時、人々は苦境にあった上、暑さが厳しく、果実が実る時節にあった。しかもタブークはとても遠い土地で、敵の数も多かったため、人々は出征に億劫(おっくう)になったのだという(アル=バガウィー2:348参照)。
[1] ここで描写されているのは、預言者*ムハンマド*と教友*アブー・バクルの二人が、マディーナ*への移住*のためにマッカ*を出発した時の出来事。彼らは追っ手を撒(ま)くため、マッカ*郊外のサウル洞窟に一時身を隠したが、追っ手の足はその間近にまで迫った。アブー・バクルは預言者*がそこで捕まってしまうことを恐れたが、預言者*の彼に対する慰(なぐさ)めの言葉通り、アッラー*は彼らをお守りになった。このようにアッラー*は、預言者*にただ一人の同伴者しかいなかった時にも、彼をお助けになった。だから今や、一部の者が出征に応じなかったとしても、アッラー*によって彼が援助されることは容易なのである(アッ=タバリー5:3998参照)。 [2] 「不信仰に陥った者*たちの言葉」とは、シルク*の言葉。それは制圧され、蔑(さげす)まされるものであることから、「最下」とされる。また「アッラー*の御言葉」とは、タウヒード*の言葉、シャハーダ*の言葉。シルク*とその民を制することから、「最上」と表されている(前掲書5:4000参照)。