[1] 「正しい」には、宗教的な正しさの外、結婚するに適当な、という意味も含まれ得る(アッ=サァディー567頁参照)。
[1] イブン・カスィール*によれば、このアーヤ*婦人章25よりも優先される(6:52参照)。預言者*は仰(おっしゃ)った 。「(結婚の)必要条件が揃(そろ)っている者は、結婚せよ。というのもそれこそは視線を低めさせ、貞操をより守らせるものであるから。そして(それが)出来ない者は、斎戒*せよ。というのも実にそれは、彼にとっての性欲の抑制なのだから」(アル=ブハーリー1905参照)。 [2] つまり、一定の金額を分割して支払うことを条件に主人がその奴隷*を解放するという契約のこと(アル=クルトゥビー12:244参照)。一括払いでよいともされる(クウェイト法学大全38:362)。 [3] この「善きもの」は、分別、稼(かせ)ぐ力、宗教的な正しさのこと(ムヤッサル354頁参照)。 [4] 大多数の学者は、これを、奴隷*の主人が解放のための金額を減額してやることの命令であるとしている。一説に、減額後にも、更に経済的援助を与えることは推奨される行為とされる。また一説には、これは主人だけではなくムスリム*一般への命令(アル=バイダーウィー4:186参照)。 [5] 「利益」とは、それによって得られる報酬や子供のこと(イブン・カスィール6:56参照)。 [6] これは、このような場合の典型的状況を表しているだけであり、彼女らが貞節さを望んでいなければ、姦通を無理強いしてよいということではない(前掲書、同頁参照)。
[1] アッラー*は、天地の全てを司(つかさど)り、そこに存在するものを各々の利へと導かれる光である。かれを包む覆いは光であり、天地とそこにあるもの全ては、そこからの光を浴びる。そしてかれの書(クルアーン*)と導きもまた、光である。かれの御光なくしては、闇が覆い重なるばかりなのだ(ムヤッサル354頁参照)。 [2] これは、アッラー*がご自身へとお導きになる光。それは信仰者の心の中の、信仰心とクルアーン*のことであるとも言われる(前掲書、同頁参照)。 [3] 午前にだけ太陽の光を浴びる東端の木でも、午後にあだけそれを浴びる西端の木でもなく、一日中その光を浴びる、中央に位置した木のこととされる(前掲書、同頁参照)。 [4] 油そのものの輝(かかや)き の上に、火による更なる光が加えられる様子(前掲書、同頁参照)。 [5] この描写は、信仰者の状態についてのたとえであるとされる。つまり彼の生来の天性は、混じり気のないオリーブ油のように純粋で、アッラー*の教えとそれに沿った行いのために準備されたものである。それでそこに知識と信仰が注ぎ込まれると、その光は灯火の芯に点火されるように、彼の心に燃え上がる。彼の心は悪い意図と、アッラー*についての誤解から無縁である。そこに信仰が加われば、それは不純物からの純粋さゆえに、明るく照らし出す。それは真珠のガラスのようであり、こうして彼には天性の光、信仰の光、知識の光、知の純粋さが集結され、光の上に光が加えられる(アッ=サァディー568頁参照)。
[1] この「館」は、マスジド*のこと(ムヤッサル354頁参照)。「高められ」たということには、建築物としての物質的な高さを始め、汚れ、害悪、不信仰、戯れごと、アッラー*以外の名が念じられることなどから遠ざけられるという、抽象的な意味での崇高さも含み得る(アッ=サァディー569頁参照)。 [2] 大半の解釈学者は、この「称える*」を「義務の礼拝」としている(アッ=シャウカーニー4:48参照)。