[1] アーヤ*58「精通を見ていない者たち」についての訳注も参照。 [2] 「彼ら以前の者たち」とは、大人のこと。あるいは、アーヤ*27にて、既に言及されている者たちのこと、とされる(アル=カースィミー 12:4548参照)。
[1] つまり、高齢ゆえに諸々の行動や、出産・月経などの諸事から「退いた者」のこと(アル=クルトゥビー12:309参照)。
[1] 例えば、出征の義務など。また一説には、このアーヤ*で言及されている場所で食事を共にすることに関して、罪はない、ということ(イブン・カスィール6:84-85参照)。 [2] ただし、言葉、あるいは慣習的な意味において、先方からの許可があると見なされた場合に限る(アッ=サァディー575頁参照) 。 [3] つまり、その所有者の不在中、管理を任された家などのこと(ムヤッサル358頁参照) 。 [4] いずれも合法ではあるが、より徳が多いのは共に食すること(アッ=サァディー575頁参照)。 一説にジャーヒリーヤ*では、一人で食事することを忌(い)み嫌う者たちがいた。またムスリム*の中には、他人に食事をご馳走になることを恥じた者もいたとされる(イブン・カスィール6:86参照)。 [5] ムスリム*は一心同体であることから、ここでは他のムスリム*が「あなた方自身」と表現されている(アッ=サァディー575頁参照) 。 [6] 「あなた方に平安と、アッラー*のご慈悲と、かれの祝福がありますよう」という挨拶。もし無人の家だったら、こういう。「私たちとアッラー*のしもべたちに、平安がありますよう」(ムヤッサル358頁参照) 。