[1] アーヤ*21「清くなる」の訳注を参照。
[1] つまり非合法な物事や、恥部(アウラ*)、自分の心を虜(とりこ)にしそうな現世の魅力などのこと(アッ=サァディー566頁参照)。 [2] 預言者*は仰(おっしゃ)った 。「・・・(非合法なものを見ても、)視線を定めてはならない。実にあなたには最初の視線が許されても、二番目のそれは赦されていないのだから」(アブー・ダーウード2149参照)。尚、視線が「一部」と表現されているのには、証言や結婚の申し込みの際など、場合以によっては、普段は禁じられている物事に視線を定めることが許されることがあるから、とされる。一方、貞操に関しては、いかなる状況においても守らなければならない(アッ=サァディー566頁参照)。 [3] つまり禁じられた性交渉や、陰部を見られたりすることから(前掲書、同頁参照)。 [4] アーヤ*21「清くなる」の訳注を参照。
[1] アーヤ*31とその訳注を参照。 [2] この「飾り」とは、アンクレット、腕輪、イヤリング、ネックレスといった「隠れた飾り」のこと。そしてここでの意図は、それらを着用する身体的部位のことである(アル=バガウィー3:403参照)「現れてしまうもの」には、「外套(がいとう)」「顔と両手首から先」といった解釈があるが、イブン・カスィール*は後者を大多数の学者の見解としている(6:45参照)。頻出名・用語解説の「アウラ*」も参照。 [3] この「飾り」は、マハラム*にしか見せてはならない「隠れた飾り」のこと(本頁の訳注5参照)。 [4] ここでの「父親」には、祖父など、父方・母方の男性尊属(そんぞく)も含まれるとされる。「自分たちの主人の父親」も同様(アル=クルトゥビー12:232参照)。 [5] ここでの「子供」には、孫など、息子・娘いずれの男性卑属(ひぞく)も含まれるとされる。このアーヤ*内の外の「子供」も、全て同様(前掲書12:232-233参照)。 [6] 「自分たちの兄弟・姉妹の子供」という言葉には、その男親である叔(伯)父 も含まれるとされる。また、授乳によってできた親族関係(婦人章21を参照)の男性も、「隠された飾り」を見せてもよいとされるが、ここでは言及されていない(前掲書12:233参照)。
[7] 女性一般、あるいはムスリム*女性のこと(アッ=サァディー566頁参照)。 [8] 去勢された者、性欲のない者、老人など、女性に関心のない男性(アル=クルトゥビー12:234参照)。