[1] このアーヤ*は、不信仰者*の行いが実を結ぶことがないことのたとえ。同様のアーヤ*として、雌牛章264、イムラーン家章117、イブラーヒーム*章18、識別章23も参照。 [2] 復活の日*のこととされる(ムヤッサル355頁参照) 。
[1] 一説に、この「闇」は不信仰者*の行い、深い海はその心を指しており、それが無知、疑念、困惑という波に覆われ、罪の汚れ、封印という雲で包まれている。つまり、その心眼によって信仰という光を目にすることが出来ない(アル=クルトゥビー12:285参照)。雌牛章7、家畜章50、雷鳴章16、フード*章20、24、巡礼*章46とその訳注も参照。
[1] 全ての者は、人間やジン*のように使徒*を介するにせよ、それ以外の被造物のようにアッラー*から示唆(しさ)されてそうするにせよ、自分たちに相応(ふさわ)しい形での称え*方や礼拝の仕方を知っている。あるいは、「アッラー*は確かに、全ての者の礼拝と称え*方を知っている」という意味にも解釈可能(アッ=サァディー570頁参照)。蜜蜂章48-49、夜の旅章44、巡礼*章18とその訳注も参照。