[1] アッラー*は、天地の全てを司(つかさど)り、そこに存在するものを各々の利へと導かれる光である。かれを包む覆いは光であり、天地とそこにあるもの全ては、そこからの光を浴びる。そしてかれの書(クルアーン*)と導きもまた、光である。かれの御光なくしては、闇が覆い重なるばかりなのだ(ムヤッサル354頁参照)。 [2] これは、アッラー*がご自身へとお導きになる光。それは信仰者の心の中の、信仰心とクルアーン*のことであるとも言われる(前掲書、同頁参照)。 [3] 午前にだけ太陽の光を浴びる東端の木でも、午後にあだけそれを浴びる西端の木でもなく、一日中その光を浴びる、中央に位置した木のこととされる(前掲書、同頁参照)。 [4] 油そのものの輝(かかや)き の上に、火による更なる光が加えられる様子(前掲書、同頁参照)。 [5] この描写は、信仰者の状態についてのたとえであるとされる。つまり彼の生来の天性は、混じり気のないオリーブ油のように純粋で、アッラー*の教えとそれに沿った行いのために準備されたものである。それでそこに知識と信仰が注ぎ込まれると、その光は灯火の芯に点火されるように、彼の心に燃え上がる。彼の心は悪い意図と、アッラー*についての誤解から無縁である。そこに信仰が加われば、それは不純物からの純粋さゆえに、明るく照らし出す。それは真珠のガラスのようであり、こうして彼には天性の光、信仰の光、知識の光、知の純粋さが集結され、光の上に光が加えられる(アッ=サァディー568頁参照)。