Qurani Kərimin mənaca tərcüməsi - Yapon dilinə tərcümə- Səid Sato.

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144 : 7

قَالَ يَٰمُوسَىٰٓ إِنِّي ٱصۡطَفَيۡتُكَ عَلَى ٱلنَّاسِ بِرِسَٰلَٰتِي وَبِكَلَٰمِي فَخُذۡ مَآ ءَاتَيۡتُكَ وَكُن مِّنَ ٱلشَّٰكِرِينَ

かれは仰せられた。「ムーサー*よ、本当にわれは、わが言伝とわが言葉[1]で、あなたを人々の上に選りすぐった。ならば、われがあなたに授けたもの[2]を手にし(て、それを遵守し)、感謝する者の一人となるのだ」。 info

[1] 「言伝」とは、人々をアッラー*への教えへと招く、使徒*としての使命。「言葉」とは、アッラー*が直接彼に語りかけられたという特別な栄誉のこと(ムヤッサル168頁参照)。 [2] アッラー*のご命じになったことと、禁じられたこと(前掲書、同頁参照)。

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145 : 7

وَكَتَبۡنَا لَهُۥ فِي ٱلۡأَلۡوَاحِ مِن كُلِّ شَيۡءٖ مَّوۡعِظَةٗ وَتَفۡصِيلٗا لِّكُلِّ شَيۡءٖ فَخُذۡهَا بِقُوَّةٖ وَأۡمُرۡ قَوۡمَكَ يَأۡخُذُواْ بِأَحۡسَنِهَاۚ سَأُوْرِيكُمۡ دَارَ ٱلۡفَٰسِقِينَ

われら*は彼(ムーサー*)のため、(宗教において必要な)全ての物事を、つまり訓戒と、全てのものの詳細[1]を、碑板の中に記した。ならばそれを真摯に受け取り[2]、あなたの民に命じて、その最善のものを行わせよ[3]。じきにわれは、あなた方に放逸な者たちの住まいを見せてやるから[4] info

[1] つまり、法規定・義務・物語・信仰教義・不可視の世界*の情報など網羅(もうら)した、トーラー*のこと(前掲書、同頁参照)。 [2] 「真摯に受け取る」については、雌牛章63の訳注を参照。 [3] つまり、その命令を実行し、禁令を避(さ)け、たとえと訓戒を熟慮(じゅくりょ)すること。あるいは、「最善のもの」とは義務と任意の服従行為で、その他の合法な物事が「それ以下のもの」(アル=クルトゥビー7:282参照)。 [4] 来世において、彼らの内の、あるいは彼ら以外のシルク*の徒の行き先である地獄をお見せになる、ということ(ムヤッサル168頁参照)。ほかにも、「エジプト」「シャーム地方(現在のシリア、パレスチナ周辺地域)」といった解釈などもある(アル=クルトゥビー7:282参照)。

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146 : 7

سَأَصۡرِفُ عَنۡ ءَايَٰتِيَ ٱلَّذِينَ يَتَكَبَّرُونَ فِي ٱلۡأَرۡضِ بِغَيۡرِ ٱلۡحَقِّ وَإِن يَرَوۡاْ كُلَّ ءَايَةٖ لَّا يُؤۡمِنُواْ بِهَا وَإِن يَرَوۡاْ سَبِيلَ ٱلرُّشۡدِ لَا يَتَّخِذُوهُ سَبِيلٗا وَإِن يَرَوۡاْ سَبِيلَ ٱلۡغَيِّ يَتَّخِذُوهُ سَبِيلٗاۚ ذَٰلِكَ بِأَنَّهُمۡ كَذَّبُواْ بِـَٔايَٰتِنَا وَكَانُواْ عَنۡهَا غَٰفِلِينَ

われら*は、不当にも地上で(われら*への服従に対し、そして人々に対し)奢り高ぶる者たちを、わが御徴[1](の理解)から遠のけてしまおう。そして彼らは、いかなる御徴を目にしても、それを信じることがない。また正しさの道を目にしても、それを道として選ぶこともない。そして誤りの道を目にすれば、それを道として選んでしまう。それというのも、彼らがわれら*の御徴を嘘とし、それに無頓着な者たちだったからなのである。 info

[1] この「御徴」とは、アッラー*の偉大さとその法規定を示す証拠のこと(ムヤッサル168頁参照)。

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147 : 7

وَٱلَّذِينَ كَذَّبُواْ بِـَٔايَٰتِنَا وَلِقَآءِ ٱلۡأٓخِرَةِ حَبِطَتۡ أَعۡمَٰلُهُمۡۚ هَلۡ يُجۡزَوۡنَ إِلَّا مَا كَانُواْ يَعۡمَلُونَ

われら*の御徴と来世における拝謁を嘘呼ばわりする者は、その行いが台無しになってしまったのである。一体彼らが(来世で)報いを受けるのは、自分たちが(現世で)行っていたこと(によるもの)以外の、何ものでもないのではないか? info
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148 : 7

وَٱتَّخَذَ قَوۡمُ مُوسَىٰ مِنۢ بَعۡدِهِۦ مِنۡ حُلِيِّهِمۡ عِجۡلٗا جَسَدٗا لَّهُۥ خُوَارٌۚ أَلَمۡ يَرَوۡاْ أَنَّهُۥ لَا يُكَلِّمُهُمۡ وَلَا يَهۡدِيهِمۡ سَبِيلًاۘ ٱتَّخَذُوهُ وَكَانُواْ ظَٰلِمِينَ

ムーサー*の民は彼の(アッラー*との約束のための出発)後、彼らの宝飾品から、実体があり、鳴き声を有する仔牛を作り出した[1]。一体彼らは、それが彼らに語りかけもしなければ、彼らを(よき)道に導きもしないことを知らなかったのか?彼らはそれを、(崇拝*の対象として)選んだのであり、彼らは不正*者だったのである。 info

[1] この時の状況については、ター・ハー章83-98に、より詳細に描写されている。

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149 : 7

وَلَمَّا سُقِطَ فِيٓ أَيۡدِيهِمۡ وَرَأَوۡاْ أَنَّهُمۡ قَدۡ ضَلُّواْ قَالُواْ لَئِن لَّمۡ يَرۡحَمۡنَا رَبُّنَا وَيَغۡفِرۡ لَنَا لَنَكُونَنَّ مِنَ ٱلۡخَٰسِرِينَ

そして(仔牛の崇拝を)後悔し[1]、自分たちが確かに迷い去っていたのを知ると、彼らは言った[2]。「もしも我らが主*が私たちにご慈悲をかけて下さらず、私たちをお赦しにならなければ、私たちは本当に損失者の類いとなってしまいます」。 info

[1] この「後悔した」は、直訳的には「自分たちの手の中に落とされた」という表現。後悔する者が、苦悩ゆえに自分の手に口をつけて噛(か)む様子が、その意味の由来とされる(アッ=シャウカーニー2:352参照)。 [2] これはムーサー*がアッラー*との語らいを終え、シナイ山を降りて民のもとに帰ってきた後のことである(アッ=タバリー5:3638-3639、ムヤッサル168頁参照)。

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