Kur'an-ı Kerim meal tercümesi - Japonca Tercüme - Said Sato

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119 : 6

وَمَا لَكُمۡ أَلَّا تَأۡكُلُواْ مِمَّا ذُكِرَ ٱسۡمُ ٱللَّهِ عَلَيۡهِ وَقَدۡ فَصَّلَ لَكُم مَّا حَرَّمَ عَلَيۡكُمۡ إِلَّا مَا ٱضۡطُرِرۡتُمۡ إِلَيۡهِۗ وَإِنَّ كَثِيرٗا لَّيُضِلُّونَ بِأَهۡوَآئِهِم بِغَيۡرِ عِلۡمٍۚ إِنَّ رَبَّكَ هُوَ أَعۡلَمُ بِٱلۡمُعۡتَدِينَ

そして、アッラー*の御名がその上に唱えられたものの内から食べないとは、どういうことか?かれはあなた方に禁じたものを確かに、あなた方に詳しく説明されたというのに。しかし、あなた方がその必要に迫られたもの[1]は別である。本当に多く(の誤った者たち)は知識もなく、その私欲によって(合法・非合法な物事において)正に迷わせるのだ。本当に(使徒*よ、)あなたの主*こそは、度を超す者たちを最もよくご存知である。 info

[1] 雌牛章173と、その訳注も参照。

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120 : 6

وَذَرُواْ ظَٰهِرَ ٱلۡإِثۡمِ وَبَاطِنَهُۥٓۚ إِنَّ ٱلَّذِينَ يَكۡسِبُونَ ٱلۡإِثۡمَ سَيُجۡزَوۡنَ بِمَا كَانُواْ يَقۡتَرِفُونَ

露わな罪も、密やかな罪も放棄するのだ。実に罪を稼ぐ者たちは、自分たちが犯していたことゆえに、やがて報いを受けることになるのだから。 info
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121 : 6

وَلَا تَأۡكُلُواْ مِمَّا لَمۡ يُذۡكَرِ ٱسۡمُ ٱللَّهِ عَلَيۡهِ وَإِنَّهُۥ لَفِسۡقٞۗ وَإِنَّ ٱلشَّيَٰطِينَ لَيُوحُونَ إِلَىٰٓ أَوۡلِيَآئِهِمۡ لِيُجَٰدِلُوكُمۡۖ وَإِنۡ أَطَعۡتُمُوهُمۡ إِنَّكُمۡ لَمُشۡرِكُونَ

また(ムスリム*たちよ)、アッラー*の御名がその上に唱えられていないものの内から、食べるのではない。本当にそれは、まさしく放逸さ[1]である。本当にシャイターン*(のジン*たち)は、あなた方と言い争うよう、自分たちの盟友(であるシャイターン*の人間たち)を、まさに唆すのだ[2]。そして、もし彼らに従ったら、本当にあなた方は正しくシルク*の徒*である[3] info

[1] アッラー*の服従からの逸脱(いつだつ)ゆえの、「放逸さ」ということ(ムヤッサル143頁参照)。 [2] このアーヤ*は一説に、アッラー*の御名が唱えられてはいない死肉が禁じられたことに関し、不信後者*らが「ムハンマド*よ、あなた方は自分で屠(ほふ)ったものは食べるくせに、あなた方の主*が息の根を止められたもの(自然死したもの)は禁じるというのか!?」と言ったことに関し、下ったと言われる(アブー・ダーウード2818参照)。 [3] かれの御名が唱えられずに屠られた家畜の肉に限らず、アッラー*の禁じられたものを合法視したり、かれの命じられたことを勝手に禁じたりすることは、シルク*の一形態である(アッ=タバリー4:3330参照)。

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122 : 6

أَوَمَن كَانَ مَيۡتٗا فَأَحۡيَيۡنَٰهُ وَجَعَلۡنَا لَهُۥ نُورٗا يَمۡشِي بِهِۦ فِي ٱلنَّاسِ كَمَن مَّثَلُهُۥ فِي ٱلظُّلُمَٰتِ لَيۡسَ بِخَارِجٖ مِّنۡهَاۚ كَذَٰلِكَ زُيِّنَ لِلۡكَٰفِرِينَ مَا كَانُواْ يَعۡمَلُونَ

一体、(かつては)死人だったが、われら*が生命を与え、人々の間をそれによって歩く光を授けた者は、脱出することの出来ない闇の中にある者[1]と同等だろうか?同様に不振後者*たちには、彼らが行っていたことが煌びやかに映ったのである[2] info

[1] 前者は、一時は迷いの中で混乱した、死人に等しい状態にあったものの、その後、信仰心によって心が生き返り、導かれ、使徒*たちへの服従という恩恵を授かり、導きという光の中に生きる者。一方後者は、様々な無知と私欲の迷いの中にあり、そこから脱出する手段がない者のこと(ムヤッサル143 頁参照)。 [2] 食べ物について、議論してきた不信仰者*たちに、彼らへの痛ましい懲罰が原因となる、自分たちの悪い行いが煌びやかに映ったのと同様、彼らと同様の不信仰の状態にある者たちにもまた、懲罰の原因となる罪が煌びやかに映るのだ、ということ(アッ=タバリー4:3333参照)。

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123 : 6

وَكَذَٰلِكَ جَعَلۡنَا فِي كُلِّ قَرۡيَةٍ أَكَٰبِرَ مُجۡرِمِيهَا لِيَمۡكُرُواْ فِيهَاۖ وَمَا يَمۡكُرُونَ إِلَّا بِأَنفُسِهِمۡ وَمَا يَشۡعُرُونَ

また(マッカ*の不信仰者*たちと)同様に、われらはいかなる町においても、その罪悪者たちを(町の)有力者とした。(それは)彼らがそこで、策謀するためである。そして彼らが策謀しているのは、自分自身に対してに外ならない[1]。彼らはそれに気付いていないのだが。 info

[1] というのも彼らは、アッラー*の宗教とその使徒*を阻止しようとして策謀するが、結局のところその罪は自分自身に返ってくるからである(前掲書、同頁参照)。

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124 : 6

وَإِذَا جَآءَتۡهُمۡ ءَايَةٞ قَالُواْ لَن نُّؤۡمِنَ حَتَّىٰ نُؤۡتَىٰ مِثۡلَ مَآ أُوتِيَ رُسُلُ ٱللَّهِۘ ٱللَّهُ أَعۡلَمُ حَيۡثُ يَجۡعَلُ رِسَالَتَهُۥۗ سَيُصِيبُ ٱلَّذِينَ أَجۡرَمُواْ صَغَارٌ عِندَ ٱللَّهِ وَعَذَابٞ شَدِيدُۢ بِمَا كَانُواْ يَمۡكُرُونَ

また、御徴[1]が彼らのもとに到来した時、彼らは言った。「私たちは、アッラー*の使徒*たちが授けられたものと同様のもの[2]を授けられるまで、(ムハンマド*を)決して信じない」。アッラー*が、そのお言伝を託す(に相応しい)場所を最もよくご存知である。やがて罪深い者たちには、彼らが策謀していたことゆえに、アッラー*の御徴での惨めさと、厳しい懲罰が降りかかるであろう。 info

[1] この「御徴」については、アーヤ*37の訳注を参照。 [2] つまり、預言者*性と奇跡のこと(ムヤッサル143頁参照)。金の装飾章31-32も参照。

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