[1] 雌牛章173と、その訳注も参照。
[1] アッラー*の服従からの逸脱(いつだつ)ゆえの、「放逸さ」ということ(ムヤッサル143頁参照)。 [2] このアーヤ*は一説に、アッラー*の御名が唱えられてはいない死肉が禁じられたことに関し、不信後者*らが「ムハンマド*よ、あなた方は自分で屠(ほふ)ったものは食べるくせに、あなた方の主*が息の根を止められたもの(自然死したもの)は禁じるというのか!?」と言ったことに関し、下ったと言われる(アブー・ダーウード2818参照)。 [3] かれの御名が唱えられずに屠られた家畜の肉に限らず、アッラー*の禁じられたものを合法視したり、かれの命じられたことを勝手に禁じたりすることは、シルク*の一形態である(アッ=タバリー4:3330参照)。
[1] 前者は、一時は迷いの中で混乱した、死人に等しい状態にあったものの、その後、信仰心によって心が生き返り、導かれ、使徒*たちへの服従という恩恵を授かり、導きという光の中に生きる者。一方後者は、様々な無知と私欲の迷いの中にあり、そこから脱出する手段がない者のこと(ムヤッサル143 頁参照)。 [2] 食べ物について、議論してきた不信仰者*たちに、彼らへの痛ましい懲罰が原因となる、自分たちの悪い行いが煌びやかに映ったのと同様、彼らと同様の不信仰の状態にある者たちにもまた、懲罰の原因となる罪が煌びやかに映るのだ、ということ(アッ=タバリー4:3333参照)。
[1] というのも彼らは、アッラー*の宗教とその使徒*を阻止しようとして策謀するが、結局のところその罪は自分自身に返ってくるからである(前掲書、同頁参照)。
[1] この「御徴」については、アーヤ*37の訳注を参照。 [2] つまり、預言者*性と奇跡のこと(ムヤッサル143頁参照)。金の装飾章31-32も参照。