ការបកប្រែអត្ថន័យគួរអាន - ការបកប្រែជាភាសាជប៉ុន - សាអុីទ សាតូ

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21 : 18

وَكَذَٰلِكَ أَعۡثَرۡنَا عَلَيۡهِمۡ لِيَعۡلَمُوٓاْ أَنَّ وَعۡدَ ٱللَّهِ حَقّٞ وَأَنَّ ٱلسَّاعَةَ لَا رَيۡبَ فِيهَآ إِذۡ يَتَنَٰزَعُونَ بَيۡنَهُمۡ أَمۡرَهُمۡۖ فَقَالُواْ ٱبۡنُواْ عَلَيۡهِم بُنۡيَٰنٗاۖ رَّبُّهُمۡ أَعۡلَمُ بِهِمۡۚ قَالَ ٱلَّذِينَ غَلَبُواْ عَلَىٰٓ أَمۡرِهِمۡ لَنَتَّخِذَنَّ عَلَيۡهِم مَّسۡجِدٗا

(彼らを長年の眠りに落とし、それから目覚めさせたのと)同様に、われら*は彼らを(その時代の人々に)発見させた[1]。(それは)彼ら(発見者ら)が自分たちの間で彼らの問題[2]について言い争っている時、彼らが(復活という)アッラー*のお約束は真実であり、(復活の)その時(の到来)には疑惑の余地がないことを知るためであった。そして彼ら(発見者ら)は(、洞窟の人々が死んだ後)、言った。「彼らの(洞窟の)上に、(入口を塞ぐ)建物を建てよ[3]--彼らのことは、彼らの主が最もよくご存知である[4]--」。彼らの諸事に発言力のある者たちは、言った。「私たちは必ずや、彼らの(場所の)上にマスジド*を建てよう[5]」。 info

[1] 一説に、町に遣わされた者が買い物に使った古い時代の銀貨が、彼らが発見されるきっかけとなった。また、彼らが目覚めた時代の王は信仰者で、町に買い物に来た者と共に洞窟へ行って出来事の真相を確認したとされる(アッ=タバリー7:5317-5318参照)。アル=クルトゥビー*によると、大半の伝承は、この時に洞窟の人々は死んでしまったとしている(10:379参照)。 [2] 一説に当時の人々の間では、死後に魂だけが復活するのか、それとも魂が肉体を伴って復活するのか、議論の種になっていた。しかしこの出来事の後、後者の説が確証された(前掲書10:378-379参照)。 [3] 「建物を建てる」理由としては、「彼らの痕跡(こんせき)を消すため」「彼らの遺体や、その砂などを、盗難から守るため」「洞窟の目印とするため」といった諸説がある(イブン・ジュザイ1:506参照)。 [4] この挿入句の意味については、「洞窟の人々について、ああでもないこうでもないと議論していた、預言者*ムハンマド*の時代の啓典の民*に対する、アッラー*の御言葉」とか、「洞窟の人々の状況に関する議論の末に行き着いた、発見者らの言葉」とかいった説がある(アル=カースイミー11:4036参照)。 [5] 彼らとその出来事を記念し、かつそこでアッラー*を崇拝*するためのマスジド*のこと。尚このことは、墓の上にマスジド*を建てることの容認を意味するわけではない(アッ=サァディー473頁参照)。 預言者*ムハンマド*は、預言者*や偉人たちの墓をマスジド*とすることを特に強く禁じた(アル=ブハーリー434-437参照)。

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22 : 18

سَيَقُولُونَ ثَلَٰثَةٞ رَّابِعُهُمۡ كَلۡبُهُمۡ وَيَقُولُونَ خَمۡسَةٞ سَادِسُهُمۡ كَلۡبُهُمۡ رَجۡمَۢا بِٱلۡغَيۡبِۖ وَيَقُولُونَ سَبۡعَةٞ وَثَامِنُهُمۡ كَلۡبُهُمۡۚ قُل رَّبِّيٓ أَعۡلَمُ بِعِدَّتِهِم مَّا يَعۡلَمُهُمۡ إِلَّا قَلِيلٞۗ فَلَا تُمَارِ فِيهِمۡ إِلَّا مِرَآءٗ ظَٰهِرٗا وَلَا تَسۡتَفۡتِ فِيهِم مِّنۡهُمۡ أَحَدٗا

彼ら(洞窟の人々に関し、ああでもないこうでもないという啓典の民*)は、言うであろう。「(彼らの数は)三人で、四人目が彼らの犬だった」。また、(別の者たちは)言う。「(彼らの数は)五人で、六人目が彼らの犬だった」。(彼らのいずれも、)あてずっぽうなのだ。また、(別の者たちは)言う。「(彼らの数は)七人で、八人目が彼らの犬だったのだ」。(使徒*よ、)言ってやれ。「我が主*が彼らの数について、最もよくご存知。僅かな者しか、彼ら(の数)について知る者はいない」。ならば、彼ら(の数)に関しては表面的な議論[1]しかしてはならず、彼ら(啓典の民*)の内の誰にも、彼ら(の詳細)について教示を請うてはならない。 info

[1] 「表面的な議論」とは、啓示によって知らされた情報のみに留め、深入りしないこと(ムヤッサル296頁参照)。

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23 : 18

وَلَا تَقُولَنَّ لِشَاْيۡءٍ إِنِّي فَاعِلٞ ذَٰلِكَ غَدًا

また、(自分がやろうと決めた)いかなることについても、「本当に私は、明日それをやろう」などと、決して言ってはならない。 info
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24 : 18

إِلَّآ أَن يَشَآءَ ٱللَّهُۚ وَٱذۡكُر رَّبَّكَ إِذَا نَسِيتَ وَقُلۡ عَسَىٰٓ أَن يَهۡدِيَنِ رَبِّي لِأَقۡرَبَ مِنۡ هَٰذَا رَشَدٗا

但し、アッラー*がお望みならば、(と言い添えるのであれば)別であるが[1]。そして(その言葉を言うのを)忘れてしまったら、あなたの主*を念じ[2]、(こう)言うのだ。「我が主*は私を、これよりももっと正しく導いて下さるだろう[3]」。 info

[1] 一説に、ある時マッカ*の不信仰者*らはムハンマド*の正体を確かめるべく、マディーナ*のユダヤ教徒*のもとに赴(おもむ)いて 教示を請うた。ユダヤ教徒*たちはムハンマド*が本当の預言者*かどうかを判別するため、彼にいくつかの質問をするよう命じたが、この「洞窟の人々」についての話もその中の一つだった。だが預言者*は質問に応じることを約束した際、「アッラー*がお望みならば」と言い添えるのを忘れてしまう。その戒(いまし)めとして、啓示は半月間とだえたとされる(イブン・イスハーク1:239参照)。サード章34と、その訳注も参照。 [2] 「アッラー*がお望みならば」という言葉を言い忘れても、そのことを思い出した時に、そう唱(とな)えること。あるいは何かを忘れた時には、アッラー*を唱念すること。そうすればアッラー*は、忘却を遠ざけて下さる(ムヤッサル296頁参照)。 [3]忘れたことを思い出すことよりも、もっと善いことへ。あるいは彼自身の使徒*性の正しさについて、洞窟の人々の話よりも更に明白な根拠を授かることへと、導かれること(アル=バガウィー3:187参照)。

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25 : 18

وَلَبِثُواْ فِي كَهۡفِهِمۡ ثَلَٰثَ مِاْئَةٖ سِنِينَ وَٱزۡدَادُواْ تِسۡعٗا

彼らは、彼らの洞窟の中で三百年間(眠って)過ごし、更に九(年)を上乗せした[1] info

[1] つまり太陽暦では三百年、イスラーム*以前からアラブ人に使用されてきた太陰暦によれば、三百九年。太陰暦は太陽暦に比べ、一年あたり約十一日、百年で約三年少なくなる計算(前掲書3:188参照)。

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26 : 18

قُلِ ٱللَّهُ أَعۡلَمُ بِمَا لَبِثُواْۖ لَهُۥ غَيۡبُ ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِۖ أَبۡصِرۡ بِهِۦ وَأَسۡمِعۡۚ مَا لَهُم مِّن دُونِهِۦ مِن وَلِيّٖ وَلَا يُشۡرِكُ فِي حُكۡمِهِۦٓ أَحَدٗا

(使徒*よ、)言ってやれ。「彼らが過ごした期間については、アッラー*が最もよくご存知である。かれにこそ、諸天と大地の不可視の世界*(に関する知識)は属するのだから。かれは何とよくご覧になり、お聞きになるのであろうか!彼ら(人間)には、かれの外にいかなる庇護者もいないのであり、かれはご自身のご裁決に、誰も干渉させはしないのだ」。 info
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27 : 18

وَٱتۡلُ مَآ أُوحِيَ إِلَيۡكَ مِن كِتَابِ رَبِّكَۖ لَا مُبَدِّلَ لِكَلِمَٰتِهِۦ وَلَن تَجِدَ مِن دُونِهِۦ مُلۡتَحَدٗا

(使徒*よ、)あなたの主*の啓典から、あなたに啓示されたものを読誦[1]せよ。かれの御言葉にはいかなる変更もなく、あなたはかれ以外に、いかなる避難所も見出すまい。 info

[1] この「読誦」については、雌牛章121の同語についての訳注も参照(アッ=タバリー7:5336参照)。

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