[1] 一説に、町に遣わされた者が買い物に使った古い時代の銀貨が、彼らが発見されるきっかけとなった。また、彼らが目覚めた時代の王は信仰者で、町に買い物に来た者と共に洞窟へ行って出来事の真相を確認したとされる(アッ=タバリー7:5317-5318参照)。アル=クルトゥビー*によると、大半の伝承は、この時に洞窟の人々は死んでしまったとしている(10:379参照)。 [2] 一説に当時の人々の間では、死後に魂だけが復活するのか、それとも魂が肉体を伴って復活するのか、議論の種になっていた。しかしこの出来事の後、後者の説が確証された(前掲書10:378-379参照)。 [3] 「建物を建てる」理由としては、「彼らの痕跡(こんせき)を消すため」「彼らの遺体や、その砂などを、盗難から守るため」「洞窟の目印とするため」といった諸説がある(イブン・ジュザイ1:506参照)。 [4] この挿入句の意味については、「洞窟の人々について、ああでもないこうでもないと議論していた、預言者*ムハンマド*の時代の啓典の民*に対する、アッラー*の御言葉」とか、「洞窟の人々の状況に関する議論の末に行き着いた、発見者らの言葉」とかいった説がある(アル=カースイミー11:4036参照)。 [5] 彼らとその出来事を記念し、かつそこでアッラー*を崇拝*するためのマスジド*のこと。尚このことは、墓の上にマスジド*を建てることの容認を意味するわけではない(アッ=サァディー473頁参照)。 預言者*ムハンマド*は、預言者*や偉人たちの墓をマスジド*とすることを特に強く禁じた(アル=ブハーリー434-437参照)。