Fassarar Ma'anonin Alqura'ni - Fassara da Japananci, Said Sato

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118 : 9

وَعَلَى ٱلثَّلَٰثَةِ ٱلَّذِينَ خُلِّفُواْ حَتَّىٰٓ إِذَا ضَاقَتۡ عَلَيۡهِمُ ٱلۡأَرۡضُ بِمَا رَحُبَتۡ وَضَاقَتۡ عَلَيۡهِمۡ أَنفُسُهُمۡ وَظَنُّوٓاْ أَن لَّا مَلۡجَأَ مِنَ ٱللَّهِ إِلَّآ إِلَيۡهِ ثُمَّ تَابَ عَلَيۡهِمۡ لِيَتُوبُوٓاْۚ إِنَّ ٱللَّهَ هُوَ ٱلتَّوَّابُ ٱلرَّحِيمُ

そして(出征せず)後方に残された三人[1]に対しても(、アッラー*はその悔悟をお行け入れになった)。やがて、大地がその広さにも関わらず彼らにとって狭くなって[2]、彼らに心苦しいものとなり、彼らがアッラー*(のお怒り)からの逃げ場所は、かれご自身(に赦しを乞うこと)しかないことを確信した時、(彼らはアッラー*に悔悟し、)それからかれ(アッラー*)は、彼らが(その後もしっかりと)悔悟するよう、彼らの悔悟をお受け入れになった。本当にアッラー*こそは、よく悔悟をお受け入れになる*お方、慈愛深い*お方なのだから。 info

[1] カァブ・ブン・マーリク、ヒラール・ブン・ウマイヤ、ムラーラ・ブン・アッ=ラビーゥの三人のこと。ムスリム*軍がタブークから凱旋(がいせん)した後、出征の命令に応じなかった多くの者は言い訳をし、その言い訳が真実であると誓った(アーヤ*94以降を参照)。だがこの三人は嘘の言い訳をすることを拒んだので、彼らの処分についてのアッラー*のご命令が下るまで、ムスリム*たちから村八分にされることになった。彼らの悔悟が受け入れられたとの啓示が下ったのは、村八分が始まってから五十日目の夜明けのことだった(アル=ブハーリー4418参照)。 [2] この表現については、アーヤ*25の訳注を参照。

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119 : 9

يَٰٓأَيُّهَا ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ ٱتَّقُواْ ٱللَّهَ وَكُونُواْ مَعَ ٱلصَّٰدِقِينَ

信仰する者たちよ、アッラー*を畏れ*、正直な者たち[1]と共にあれ。 info

[1] 「正直な者たち」とは、言葉と行いが矛盾している偽信者のようではなく、アッラー*への信仰において正直で、その言葉を行いで実証するような者のこと(アッ=タバリー5:4151参照)。

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120 : 9

مَا كَانَ لِأَهۡلِ ٱلۡمَدِينَةِ وَمَنۡ حَوۡلَهُم مِّنَ ٱلۡأَعۡرَابِ أَن يَتَخَلَّفُواْ عَن رَّسُولِ ٱللَّهِ وَلَا يَرۡغَبُواْ بِأَنفُسِهِمۡ عَن نَّفۡسِهِۦۚ ذَٰلِكَ بِأَنَّهُمۡ لَا يُصِيبُهُمۡ ظَمَأٞ وَلَا نَصَبٞ وَلَا مَخۡمَصَةٞ فِي سَبِيلِ ٱللَّهِ وَلَا يَطَـُٔونَ مَوۡطِئٗا يَغِيظُ ٱلۡكُفَّارَ وَلَا يَنَالُونَ مِنۡ عَدُوّٖ نَّيۡلًا إِلَّا كُتِبَ لَهُم بِهِۦ عَمَلٞ صَٰلِحٌۚ إِنَّ ٱللَّهَ لَا يُضِيعُ أَجۡرَ ٱلۡمُحۡسِنِينَ

マディーナ*の住民とその周辺のベドウィンたちは、アッラー*の使徒*をよそに(出征せず)後方に留まったり、彼(使徒*)よりも自分自身を優先させたりすべきではない[1]。というのも、アッラー*の道において彼らが喉の乾きや、疲労、空腹に襲われたり、(交戦状態にある)不信仰者*たちを憤らせる土地に足を踏み入れたり、敵に被害を与えたりすれば、それにより正しい行い*(の褒美)が、彼らのために必ず記録されるからである。本当にアッラー*は、善を尽くす者[2]たちの褒美を、無駄にはされないのだから。 info

[1] 預言者*が大変な目にあっているのに、自分たちは楽をしていてはならない、ということ(ムヤッサル206頁参照)。 [2] 「善を尽くす者」については、蜜蜂章128の訳注を参照。

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121 : 9

وَلَا يُنفِقُونَ نَفَقَةٗ صَغِيرَةٗ وَلَا كَبِيرَةٗ وَلَا يَقۡطَعُونَ وَادِيًا إِلَّا كُتِبَ لَهُمۡ لِيَجۡزِيَهُمُ ٱللَّهُ أَحۡسَنَ مَا كَانُواْ يَعۡمَلُونَ

また(アッラー*の道において、)費用を少し、あるいは多く出費したり、(行軍して)谷一つ越えたりすれば、彼らのために(その褒美が)記録されないことはないのである。(それは)アッラー*が彼らに、彼らが行っていた最善のもの(行い)でお報いになるためなのだ。 info
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122 : 9

۞ وَمَا كَانَ ٱلۡمُؤۡمِنُونَ لِيَنفِرُواْ كَآفَّةٗۚ فَلَوۡلَا نَفَرَ مِن كُلِّ فِرۡقَةٖ مِّنۡهُمۡ طَآئِفَةٞ لِّيَتَفَقَّهُواْ فِي ٱلدِّينِ وَلِيُنذِرُواْ قَوۡمَهُمۡ إِذَا رَجَعُوٓاْ إِلَيۡهِمۡ لَعَلَّهُمۡ يَحۡذَرُونَ

また信仰者たちは、総動員で出征すべきではない。どうして彼らの内の各集団から、(必要に見合った人数だけの)一団が出征しないのか?(それは出征せずに留まる者たちが)宗教において理解を深め、そして(出征していた)その民が自分たちのもとに戻って来た時、彼らに警告するため[1]。(それは)彼らが、(アッラー*の懲罰に対して)用心するようになるためなのだ。 info

[1] つまりクルアーン、スンナ、義務行為、法規定などを学び、遠征軍が戻って来たら、彼らの不在中に啓示されたものを伝えること。尚、「宗教において理解を深め」る者たちが、「出征した人々」であり、「警告」される側が、「出征せずに留まる者たち」という説など、他の解釈の仕方もある(アル=バガウィー2:403-404参照)。

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