የቅዱስ ቁርዓን ይዘት ትርጉም - የጃፓንኛ ትርጉም - በሰዒድ ሳቶ

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46 : 18

ٱلۡمَالُ وَٱلۡبَنُونَ زِينَةُ ٱلۡحَيَوٰةِ ٱلدُّنۡيَاۖ وَٱلۡبَٰقِيَٰتُ ٱلصَّٰلِحَٰتُ خَيۡرٌ عِندَ رَبِّكَ ثَوَابٗا وَخَيۡرٌ أَمَلٗا

財産と子供は現世の生活の飾り。そして永遠に残る正しい行い*[1]は、あなた方の主*の御許でより善い褒美をもたらすものであり、より善い希望を叶えるものなのである。 info

[1] 「永遠に残る正しい行い」とは、アッ=タバリー*によれば「来世にまで残り、それゆえに褒美を授かることになる、全ての正しい行い*」のこと(7:5362参照)。アッラーの唯一性*、偉大さ、崇高(すうこう)さ、全能性を念じることは、その筆頭(ひっとう)である(アフマド513参照)。

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47 : 18

وَيَوۡمَ نُسَيِّرُ ٱلۡجِبَالَ وَتَرَى ٱلۡأَرۡضَ بَارِزَةٗ وَحَشَرۡنَٰهُمۡ فَلَمۡ نُغَادِرۡ مِنۡهُمۡ أَحَدٗا

われら*が山々を動かす[1]日(のことを、彼らに思い起こさせよ)。そして、あなたは大地が露わになる[2]のを見る。われら*は彼らを(清算の場へと)召集し、彼らの内の一人たりとも放ってはおかない。 info

[1] 一説に山々は復活の日*、その場所から動かされ、蜘蛛が飛ぶように宙を舞い(蟻章88参照)、それから崩壊して大地に戻る(出来事章5-6参照)、とされる(アル=クルトゥビー10:416参照)。あるいは、砕け散った砂山(衣を纏う者章14参照)となってから、散り散りの羊毛(衝撃章5参照)のようになり、それから、ばらばらの塵屑(出来事章6参照)となる(アル=バガウィー5:152参照)。 [2] その日、地表を覆(おお)っていた山々や木々など、視界を遮(さえぎ)るものは消失する(アッ=タバリー7:5362参照)。また、これら復活の日*の天変地異の様子については、ター・ハー章105-107、山章9-10、出来事章5-6、真実章13-15、階段章8-9、消息章20、巻き込む章3、衝撃章4-5なども参照。

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48 : 18

وَعُرِضُواْ عَلَىٰ رَبِّكَ صَفّٗا لَّقَدۡ جِئۡتُمُونَا كَمَا خَلَقۡنَٰكُمۡ أَوَّلَ مَرَّةِۭۚ بَلۡ زَعَمۡتُمۡ أَلَّن نَّجۡعَلَ لَكُم مَّوۡعِدٗا

そして彼らは列をなして、あなたの主*へと差し出される。(かれは、仰せられる。)「あなた方は確かに(蘇らされ)、われら*があなた方を最初に創った時のように、われら*のもとに、一人きりでやって来た[1]。いや、あなた方(復活の否定者たち)は、われら*があなた方に(復活と報いの)約束を果たす時など、定めはしないだろうと思い込んでいたのだ」。 info

[1] 家畜章94とその訳注、預言者*たち章104も参照。

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49 : 18

وَوُضِعَ ٱلۡكِتَٰبُ فَتَرَى ٱلۡمُجۡرِمِينَ مُشۡفِقِينَ مِمَّا فِيهِ وَيَقُولُونَ يَٰوَيۡلَتَنَا مَالِ هَٰذَا ٱلۡكِتَٰبِ لَا يُغَادِرُ صَغِيرَةٗ وَلَا كَبِيرَةً إِلَّآ أَحۡصَىٰهَاۚ وَوَجَدُواْ مَا عَمِلُواْ حَاضِرٗاۗ وَلَا يَظۡلِمُ رَبُّكَ أَحَدٗا

そして、(現世での行いの)帳簿が(各人の右手、あるいは左手に)置かれ[1]、あなたは罪悪者たちが、そこにあるもの[2]ゆえに怯えて、(こう)言うのを見る。「ああ、我らが災いよ![3](罪の内、)小さいことも大きいことも(記録して)数え上げずにはおかない、この帳簿は一体どういうことなのか!?」彼らは、自分たちが(現世で)行ったことをありありと目にする。あなたの主*は誰にも、不正*を働いたりはしないのだ。[4] info

[1] 復活の日*に帳簿が渡されることの意味については、高壁章8の訳注を参照。帳簿が渡される時の様子については、夜の旅章13-14、71、真実章19-29、割れる章7以降などを参照。 [2] 帳簿に記された、彼らが現世で行った悪行のこと(アッ=タバリー7:5363参照)。 [3] この表現については、食卓章31「我が災いよ!」の訳注を参照。 [4] 同様の意味のアーヤ*として、婦人章40、高壁章8とその訳注、預言者*たち章47、ルクマーン章16、地震章7-8なども参照。

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50 : 18

وَإِذۡ قُلۡنَا لِلۡمَلَٰٓئِكَةِ ٱسۡجُدُواْ لِأٓدَمَ فَسَجَدُوٓاْ إِلَّآ إِبۡلِيسَ كَانَ مِنَ ٱلۡجِنِّ فَفَسَقَ عَنۡ أَمۡرِ رَبِّهِۦٓۗ أَفَتَتَّخِذُونَهُۥ وَذُرِّيَّتَهُۥٓ أَوۡلِيَآءَ مِن دُونِي وَهُمۡ لَكُمۡ عَدُوُّۢۚ بِئۡسَ لِلظَّٰلِمِينَ بَدَلٗا

われら*が天使*たちに、「アーダム*にサジダ*せよ」と言い、彼らが(全員)サジダ*[1]した時のこと(を思い起こさせよ)[2]。但しイブリース*は、別だった。彼(イブリース*)はジン*の類いで、自らの主*のご命令に対して放逸だったのだ。(人々よ、)一体あなた方は、彼(イブリース*)と彼の子孫を、われをよそに盟友とするのか?彼らはあなた方の敵だというのに。(アッラー*への服従をよそに)不正*者たちが代わりとするもの(シャイターン*への服従)は、何と醜悪であろうか。 info

[1] このサジダ*については、雌牛章34の訳注を参照。 [2] この出来事章の詳細に関しては、雌牛章34-39、高壁章11-25、アル=ヒジュル章28-42、夜の旅章61-65、ター・ハー章116-123、サード章71-83なども参照。

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51 : 18

۞ مَّآ أَشۡهَدتُّهُمۡ خَلۡقَ ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِ وَلَا خَلۡقَ أَنفُسِهِمۡ وَمَا كُنتُ مُتَّخِذَ ٱلۡمُضِلِّينَ عَضُدٗا

われは諸天と大地の創造にも、彼ら自身の創造にも、彼ら(シャイターン*とその子孫)を立ち会わせ(て、それを手伝わせ)たりはしなかったし、もとより、迷わせる者たちを補佐役としたりもしなかったのだ(、それなのに、なぜわれら*をよそに、彼らを盟友とするのか?)。 info
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52 : 18

وَيَوۡمَ يَقُولُ نَادُواْ شُرَكَآءِيَ ٱلَّذِينَ زَعَمۡتُمۡ فَدَعَوۡهُمۡ فَلَمۡ يَسۡتَجِيبُواْ لَهُمۡ وَجَعَلۡنَا بَيۡنَهُم مَّوۡبِقٗا

かれ(アッラー)が(シルク*の徒に、こう)仰せられる(復活の)日のこと(を思い起こさせよ)。「あなた方が(崇拝*における、われの同位者だと)主張した、わが同位者たちを呼んで(、懲罰から助けを乞うて)みよ」。それで彼らは、彼ら(アッラー*の同位者としていたもの)のことを呼ぶものの、応じることはない。われら*は彼らの間に、破滅の場をもうけたのだ[1] info

[1] その日、シルク*の徒と彼らがアッラーの同位者としていたものとの関係は絶たれ(家畜章94、マルヤム*章81-82、砂丘章5-6なども参照)、その代わりに破滅が訪れる。また一説にこの「破滅の場」は、地獄の谷の名称(イブン・カスィール5:170参照)。

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53 : 18

وَرَءَا ٱلۡمُجۡرِمُونَ ٱلنَّارَ فَظَنُّوٓاْ أَنَّهُم مُّوَاقِعُوهَا وَلَمۡ يَجِدُواْ عَنۡهَا مَصۡرِفٗا

罪悪者たちは業火を目にし、彼らがそこに入る身の上であることを確信する。そして彼らは、そこからのいかなる逃げ道も見出すことがない。 info
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