قرآن کریم کے معانی کا ترجمہ - جاپانی ترجمہ - سعید ساتو

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92 : 3

لَن تَنَالُواْ ٱلۡبِرَّ حَتَّىٰ تُنفِقُواْ مِمَّا تُحِبُّونَۚ وَمَا تُنفِقُواْ مِن شَيۡءٖ فَإِنَّ ٱللَّهَ بِهِۦ عَلِيمٞ

あなた方は自らが欲する物の内から施すまで、(真の)善[1]に到達することはない。そしていかなるものでも、あなた方が施すならば、アッラー*はそれを必ずやご存知になるお方。 info

[1] ここでの「善」は天国の意味であるといわれる(ムヤッサル62頁参照)。

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93 : 3

۞ كُلُّ ٱلطَّعَامِ كَانَ حِلّٗا لِّبَنِيٓ إِسۡرَٰٓءِيلَ إِلَّا مَا حَرَّمَ إِسۡرَٰٓءِيلُ عَلَىٰ نَفۡسِهِۦ مِن قَبۡلِ أَن تُنَزَّلَ ٱلتَّوۡرَىٰةُۚ قُلۡ فَأۡتُواْ بِٱلتَّوۡرَىٰةِ فَٱتۡلُوهَآ إِن كُنتُمۡ صَٰدِقِينَ

トーラー*が下される以前にイスラーイール(ヤァクーブ*)が自ら禁じた者以外は、全ての(善き)食物はイスラーイールの子ら*に許されていた。(使徒*よ、)言ってやるがいい。「トーラー*を持ってきて、(アッラー*がそれを禁じられたという証拠を見せるべく、)それを読誦してみよ。もし、あなた方が真実を語っているのならば。[1] info

[1] ヤァクーブ*は重病を患(わずら)った(わずら)際、アッラー*が癒(いや)して下さったら、自分の一番好きな物であるラクダの肉と乳を自分に禁じる、と誓った。それはアッラー*からの命令ではなく、ヤァクーブ*が自ら禁じたものであり、彼の子孫も彼に従って、それを自分たちに禁じただけだった。そして(後世に)トーラー*が下った時、ユダヤ教徒*たちは自分たちの不正*と侵害に対する罰(婦人章160参照)として、ヤァクーブ*が自ら禁じたもの以外の、それまで合法だったある種の食べ物を禁じられた(アッ=サァディー138頁参照)。一説にこのアーヤ*は、イブラーヒーム*宗教の後継者を主張した預言者*ムハンマド*に対し、ユダヤ教徒*らが「(イブラーヒーム*に禁じられていた)ラクダの肉と乳を口にする、あなたが?」と言ったことに関し、下った(アル=ワーヒディー5:426参照)。

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94 : 3

فَمَنِ ٱفۡتَرَىٰ عَلَى ٱللَّهِ ٱلۡكَذِبَ مِنۢ بَعۡدِ ذَٰلِكَ فَأُوْلَٰٓئِكَ هُمُ ٱلظَّٰلِمُونَ

それでその後、アッラー*に対して、嘘を捏造する者があれば、それらの者たちこそは不正*者である」。 info
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95 : 3

قُلۡ صَدَقَ ٱللَّهُۗ فَٱتَّبِعُواْ مِلَّةَ إِبۡرَٰهِيمَ حَنِيفٗاۖ وَمَا كَانَ مِنَ ٱلۡمُشۡرِكِينَ

(使徒*よ、)言ってやれ。「アッラー*は真実を述べられる。ゆえにシルク*の徒の類ではなかった、純正な[1]イブラーヒーム*の宗教に従うのだ」。 info

[1] 「純正な」については、雌牛章135の訳注を参照。

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96 : 3

إِنَّ أَوَّلَ بَيۡتٖ وُضِعَ لِلنَّاسِ لَلَّذِي بِبَكَّةَ مُبَارَكٗا وَهُدٗى لِّلۡعَٰلَمِينَ

本当に、(アッラー*を崇拝*するため)人々のために最初に建立された館(カァバ神殿*)は、バッカ[1]にあるもの。祝福にあふれ、全世界への導きとして(建立されたものなのだ)。 info

[1] 「バッカ」とは「マッカ*」そのものであるという説と、マッカ*の中でもカァバ神殿*の周りのみ、あるいはハラーム・マスジド*のことだけを示す語であるという説がある。尚、「バッカ」は「混雑する」という動詞から派生したもの、と言われる(アッ=タバリー3:1879‐1881参照)。

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97 : 3

فِيهِ ءَايَٰتُۢ بَيِّنَٰتٞ مَّقَامُ إِبۡرَٰهِيمَۖ وَمَن دَخَلَهُۥ كَانَ ءَامِنٗاۗ وَلِلَّهِ عَلَى ٱلنَّاسِ حِجُّ ٱلۡبَيۡتِ مَنِ ٱسۡتَطَاعَ إِلَيۡهِ سَبِيلٗاۚ وَمَن كَفَرَ فَإِنَّ ٱللَّهَ غَنِيٌّ عَنِ ٱلۡعَٰلَمِينَ

そこには、数々の明白な御徴[1]がある。(その一つが、)イブラーヒーム*の立ち所[2]。誰でもその中に入る者は、安全なのだ[3]。人々、つまりそこまでの道(を旅行すること)が可能な者⁴には、その館へとハッジ*するというアッラー*への義務がある。そしてそれ(ハッジ*の義務性)を否定する者があっても、実にアッラー*は全世界(のいかなるものへの必要)から、満ち足りた*お方なのだ。 info

[1] この「御徴」とは、イブラーヒーム*がそれを建立し、アッラー*がそれを偉大なものとされた証拠のこと(ムヤッサル62頁参照)。 [2] 「イブラーヒーム*の立ち所」については、雌牛章125の訳注を参照。 [3] その安全さに関しては、雌牛章125の訳注を参照。 4「道が可能」であるとは、それが旅行の蓄(たくわ)えと交通手段であるとか、巡礼*する本人の能力であるとか、健康のことであるなど、諸説ある(アッ=タバリー3:1886‐1890参照)。詳しくは頻出名・用語解説の「ハッジ*」を参照。

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98 : 3

قُلۡ يَٰٓأَهۡلَ ٱلۡكِتَٰبِ لِمَ تَكۡفُرُونَ بِـَٔايَٰتِ ٱللَّهِ وَٱللَّهُ شَهِيدٌ عَلَىٰ مَا تَعۡمَلُونَ

(使徒*よ、)言ってやるがいい。「啓典の民*よ、あなた方はなぜ、アッラー*の御徴[1]を否定するのか?アッラー*は、あなた方が行うことの証人であられるというのに」。 info

[1] この「御徴」とは、イスラーム*が真の宗教であるという証拠。それは彼らの啓典の中に、存在していた(ムヤッサル62頁参照)。

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99 : 3

قُلۡ يَٰٓأَهۡلَ ٱلۡكِتَٰبِ لِمَ تَصُدُّونَ عَن سَبِيلِ ٱللَّهِ مَنۡ ءَامَنَ تَبۡغُونَهَا عِوَجٗا وَأَنتُمۡ شُهَدَآءُۗ وَمَا ٱللَّهُ بِغَٰفِلٍ عَمَّا تَعۡمَلُونَ

(使徒*よ、)言ってやるがいい。「啓典の民*よ、あなた方はなぜ、信仰する者をアッラー*の道から阻むのか?あなた方は(その道が正しいことの)証人なのに、それ(その道)を捻じ曲げようとして?アッラー*はあなた方の行いに、決して迂闊ではあられない」。 info
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100 : 3

يَٰٓأَيُّهَا ٱلَّذِينَ ءَامَنُوٓاْ إِن تُطِيعُواْ فَرِيقٗا مِّنَ ٱلَّذِينَ أُوتُواْ ٱلۡكِتَٰبَ يَرُدُّوكُم بَعۡدَ إِيمَٰنِكُمۡ كَٰفِرِينَ

信仰する者たちよ、もしあなた方が啓典を授かった人々の一派に従うならば、彼らはあなた方を信仰の後、不信仰者*へと戻してしまうであろう。 info
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