قرآن کریم کے معانی کا ترجمہ - جاپانی ترجمہ - سعید ساتو

external-link copy
97 : 3

فِيهِ ءَايَٰتُۢ بَيِّنَٰتٞ مَّقَامُ إِبۡرَٰهِيمَۖ وَمَن دَخَلَهُۥ كَانَ ءَامِنٗاۗ وَلِلَّهِ عَلَى ٱلنَّاسِ حِجُّ ٱلۡبَيۡتِ مَنِ ٱسۡتَطَاعَ إِلَيۡهِ سَبِيلٗاۚ وَمَن كَفَرَ فَإِنَّ ٱللَّهَ غَنِيٌّ عَنِ ٱلۡعَٰلَمِينَ

そこには、数々の明白な御徴[1]がある。(その一つが、)イブラーヒーム*の立ち所[2]。誰でもその中に入る者は、安全なのだ[3]。人々、つまりそこまでの道(を旅行すること)が可能な者⁴には、その館へとハッジ*するというアッラー*への義務がある。そしてそれ(ハッジ*の義務性)を否定する者があっても、実にアッラー*は全世界(のいかなるものへの必要)から、満ち足りた*お方なのだ。 info

[1] この「御徴」とは、イブラーヒーム*がそれを建立し、アッラー*がそれを偉大なものとされた証拠のこと(ムヤッサル62頁参照)。 [2] 「イブラーヒーム*の立ち所」については、雌牛章125の訳注を参照。 [3] その安全さに関しては、雌牛章125の訳注を参照。 4「道が可能」であるとは、それが旅行の蓄(たくわ)えと交通手段であるとか、巡礼*する本人の能力であるとか、健康のことであるなど、諸説ある(アッ=タバリー3:1886‐1890参照)。詳しくは頻出名・用語解説の「ハッジ*」を参照。

التفاسير: