[1] キリスト教であったエチオピア王国のイエメン総督(そうとく)アブラハは、サヌアに大きな協会を建て、それがカァバ神殿*に代わる巡礼*の場となること(雌牛章125、悔悟章28の訳注も参照)を望んだ。しかしアラブ人たちがそれを受け入れないのを見ると、カァバ神殿*を破壊(はかい)すべく、象を従えた強大な軍隊と共にマッカ*へと進軍した(イブン・カスィール8:483-484参照)。
[1] 彼らは、クライシュ族*に対しては殺害や捕囚(ほしゅう)、カァバ神殿*に対して破壊という「策略」を立てていた(アル=クルトゥビー20:195参照)。クライシュ族*は彼らに対して軍事的に太刀(たち)打ち 出来なかったので、周辺の山中に避難(ひなん)したが、いよいよアブラハ軍のマッカ*入城というところでアブラハの象が進軍を拒(こば)み、彼らはイエメンへの撤退(てったい)を余儀(よぎ)なくされた(イブン・カスィール8:485参照)。