[1] ある先人たちの言葉によれば、「アッラー*に逆らう者は皆、無知なのである」(イブン・カスィール4:610参照)。婦人章17とその訳注も参照。
[1] 「純正」については、雌牛章135の訳注を参照。 [2] この「共同体」は、指導者の意(ムヤッサル281頁参照)。 また、一人であるにも関わらず「共同体」と表現されているのは、当時彼が唯一の信仰者であったためであるとか、あるいはその徳と完全さゆえ、彼一人で一つの共同体と同様の地位にあったからである、などと言われる(イブン・アーシュール14:315-316参照)。
[1] 預言者*ムハンマド*について「意見を異にした者たち」である、ユダヤ教徒*のこと(ムヤッサル281頁参照)。 [2] アッラー*は、創造を完成させられ、僕(しもべ)たちへの恩恵が全うされた日である金曜日を、人々がかれの崇拝*のために集まる特別な日とするよう、命じられた。しかしユダヤ教徒*は、創造の完成後にアッラー*が何も創造されなかった土曜日を、一方キリスト教徒*は、アッラーが創造をお始めになった日曜日を選んだ(ムスリム「金曜日の書」22、イブン・カスィール*4:612参照)。
[1] 優しさと穏やかさ、よい話し方でもって議論すること、とされる(イブン・カスィール4:613参照)。蜘蛛章46の訳注も参照。
[1] アッラー*から義務づけられた物事と、かれへの義務を遂行し、アッラー*への服従において「善を尽くす者」たちのこと(ムヤッサル281頁参照)。また預言者*は、この「善を尽くすこと」(イフサーン)」について、こう説明された。「(それは)アッラー*があたかも眼前におられるかのごとく、かれを崇拝*することである。そしてたとえかれを見なくても、かれはあなたのことをご覧になるのだ」(アル=ブハーリー50参照)。