Tradução dos significados do Nobre Qur’an. - tradução japonesa -Saeed Sato

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119 : 16

ثُمَّ إِنَّ رَبَّكَ لِلَّذِينَ عَمِلُواْ ٱلسُّوٓءَ بِجَهَٰلَةٖ ثُمَّ تَابُواْ مِنۢ بَعۡدِ ذَٰلِكَ وَأَصۡلَحُوٓاْ إِنَّ رَبَّكَ مِنۢ بَعۡدِهَا لَغَفُورٞ رَّحِيمٌ

それから本当にあなたの主*は、無知ゆえに悪事を働いた[1]ものの。その後に悔悟して(自らと行いを)正した者たちに対し、--本当にあなたの主*はーーその(悔悟の)後には、実に赦し深いお方、慈愛深い*お方であられる。 info

[1] ある先人たちの言葉によれば、「アッラー*に逆らう者は皆、無知なのである」(イブン・カスィール4:610参照)。婦人章17とその訳注も参照。

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120 : 16

إِنَّ إِبۡرَٰهِيمَ كَانَ أُمَّةٗ قَانِتٗا لِّلَّهِ حَنِيفٗا وَلَمۡ يَكُ مِنَ ٱلۡمُشۡرِكِينَ

本当にイブラーヒーム*はアッラー*に従順で、純正[1]な共同体[2]であった。そして彼は、シルク*の徒に類いではなかったのだ。 info

[1] 「純正」については、雌牛章135の訳注を参照。 [2] この「共同体」は、指導者の意(ムヤッサル281頁参照)。 また、一人であるにも関わらず「共同体」と表現されているのは、当時彼が唯一の信仰者であったためであるとか、あるいはその徳と完全さゆえ、彼一人で一つの共同体と同様の地位にあったからである、などと言われる(イブン・アーシュール14:315-316参照)。

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121 : 16

شَاكِرٗا لِّأَنۡعُمِهِۚ ٱجۡتَبَىٰهُ وَهَدَىٰهُ إِلَىٰ صِرَٰطٖ مُّسۡتَقِيمٖ

(イブラーヒーム*は、)かれ(アッラー*)の恩恵に、感謝深かった。かれ(アッラー*)は彼を(使徒*として)選り抜かれ、彼をまっすぐな道(イスラーム*)へとお導き下さった。 info
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122 : 16

وَءَاتَيۡنَٰهُ فِي ٱلدُّنۡيَا حَسَنَةٗۖ وَإِنَّهُۥ فِي ٱلۡأٓخِرَةِ لَمِنَ ٱلصَّٰلِحِينَ

また、われら*は彼に、現世で素晴らしいもの[1]を授けた。そして本当に彼は、来世において、まさしく正しい者*たちの一人なのだ。 info

[1] この「素晴らしいもの」の解釈には、「啓示とアッラー*からの御寵愛」「人々の賛美と祝福」「高齢でよい子供たちを授かったこと」「全ての民から受け入れられたこと」などといった諸説がある(アル=バガウィー3:101参照)。

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123 : 16

ثُمَّ أَوۡحَيۡنَآ إِلَيۡكَ أَنِ ٱتَّبِعۡ مِلَّةَ إِبۡرَٰهِيمَ حَنِيفٗاۖ وَمَا كَانَ مِنَ ٱلۡمُشۡرِكِينَ

それから(使徒*よ、)われら*はあなたに、(こう)啓示した。「純正な[1]イブラーヒーム*の宗教に従え。彼はシルク*の徒の類いではなかった」。 info

[1] 「純正」については、雌牛章135の訳注を参照。

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124 : 16

إِنَّمَا جُعِلَ ٱلسَّبۡتُ عَلَى ٱلَّذِينَ ٱخۡتَلَفُواْ فِيهِۚ وَإِنَّ رَبَّكَ لَيَحۡكُمُ بَيۡنَهُمۡ يَوۡمَ ٱلۡقِيَٰمَةِ فِيمَا كَانُواْ فِيهِ يَخۡتَلِفُونَ

土曜日(の偉大視)は、それにおいて意見を異にした者たち[1]に定められたに外ならない[2]。そして(使徒*よ、)本当にあなたの主*は復活の日*、彼らが意見を異にしていたことについて、彼らの間を必ずやお裁きになるのだ。 info

[1] 預言者*ムハンマド*について「意見を異にした者たち」である、ユダヤ教徒*のこと(ムヤッサル281頁参照)。 [2] アッラー*は、創造を完成させられ、僕(しもべ)たちへの恩恵が全うされた日である金曜日を、人々がかれの崇拝*のために集まる特別な日とするよう、命じられた。しかしユダヤ教徒*は、創造の完成後にアッラー*が何も創造されなかった土曜日を、一方キリスト教徒*は、アッラーが創造をお始めになった日曜日を選んだ(ムスリム「金曜日の書」22、イブン・カスィール*4:612参照)。

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125 : 16

ٱدۡعُ إِلَىٰ سَبِيلِ رَبِّكَ بِٱلۡحِكۡمَةِ وَٱلۡمَوۡعِظَةِ ٱلۡحَسَنَةِۖ وَجَٰدِلۡهُم بِٱلَّتِي هِيَ أَحۡسَنُۚ إِنَّ رَبَّكَ هُوَ أَعۡلَمُ بِمَن ضَلَّ عَن سَبِيلِهِۦ وَهُوَ أَعۡلَمُ بِٱلۡمُهۡتَدِينَ

(使徒*よ、また、彼に従う者よ、)英知とよき訓戒によってあなたの主*の道へと招き、最善の形で彼らと議論する[1]のだ。本当にあなたの主*こそは、その道から迷った者のことを最もよくご存知であり、導かれた者たちのことも最もよくご存知であるのだから。 info

[1] 優しさと穏やかさ、よい話し方でもって議論すること、とされる(イブン・カスィール4:613参照)。蜘蛛章46の訳注も参照。

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126 : 16

وَإِنۡ عَاقَبۡتُمۡ فَعَاقِبُواْ بِمِثۡلِ مَا عُوقِبۡتُم بِهِۦۖ وَلَئِن صَبَرۡتُمۡ لَهُوَ خَيۡرٞ لِّلصَّٰبِرِينَ

また、(信仰者たちよ)、あなた方が懲らしめる際には、あなた方がされたのと同程度に懲らしめよ。そして、もしあなた方が忍耐*するなら。それこそは忍耐*する者たちにとってより善いことなのだ。 info
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127 : 16

وَٱصۡبِرۡ وَمَا صَبۡرُكَ إِلَّا بِٱللَّهِۚ وَلَا تَحۡزَنۡ عَلَيۡهِمۡ وَلَا تَكُ فِي ضَيۡقٖ مِّمَّا يَمۡكُرُونَ

そして(使徒*よ、)忍耐*せよ。あなたの忍耐*は、アッラー*(のご援助)によるもの以外の何ものでもない。また、(あなたの招きに応じない)彼らゆえに悲しまず、彼らが策謀することゆえに心苦しさを覚えるのではない。 info
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128 : 16

إِنَّ ٱللَّهَ مَعَ ٱلَّذِينَ ٱتَّقَواْ وَّٱلَّذِينَ هُم مُّحۡسِنُونَ

本当にアッラー*は敬虔*な者たちと、善を尽くす者[1]たちとこそ、共にあるのだから。 info

[1] アッラー*から義務づけられた物事と、かれへの義務を遂行し、アッラー*への服従において「善を尽くす者」たちのこと(ムヤッサル281頁参照)。また預言者*は、この「善を尽くすこと」(イフサーン)」について、こう説明された。「(それは)アッラー*があたかも眼前におられるかのごとく、かれを崇拝*することである。そしてたとえかれを見なくても、かれはあなたのことをご覧になるのだ」(アル=ブハーリー50参照)。

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