[1] ここでの「放逸」さの意味には、「噓つき」「自分の罪を公(おおや)けにする者」「アッラー*に対して羞恥(しゅうち)心を抱かない者」といった諸説がある。尚、放逸であることが確定した者の情報・伝承は、例外的なものを除いては受け入れられないということで、学者間の見解は一致している(アル=クルトゥビー16:312参照)。 [2] このアーヤ*は、ワリード・ブン・ウクバが浄財*の徴収(ちょうしゅう)のため、ムスタラク族へ遣わされた際の出来事に関して下ったとされる。ムスタラク族が浄財を渡すことを拒んだというワリードの誤った報告により、ムスリムたちは危うく彼らを攻撃しそうになった(アフマド18459参照)。
[1] アッラー*とその使徒*の裁決へと招き、その裁決に満足させよ、ということ(ムヤッサル516頁参照)。 [2] 「アッラー*のご命令」とは、アッラー*とその使徒*の裁決のこと(前掲書、同頁参照)。
[1] 人間が真に徳とすべきことは、大方の場合において嘲笑(ちょうしょう)の対象となる姿形、地位、状況といった表面的なものではなく、心の中に秘められた内面的なものである。ゆえに人は、もしかするとアッラー*の御許では自分よりも徳の高い者であるかもしれない他人を、無闇(むやみ)に蔑(さげす)むべきではない。そうすれば彼は、アッラー*の御許で高い地位にある者を蔑むことにより、自分自身を害することになるからだ(アブー・アッ=スウード8:121参照)。預言者*は、こう仰(おっしゃ)っている。「本当にアッラー*は、あなた方の姿や財産をご覧になるのではない。しかし、あなた方の心と行いをご覧になるのである。」(ムスリム「善行と血縁の絆と礼儀作法の書」34参照) [2] 他人が「あなた方自身」と表現されているのは、「同胞を中傷した者は、自分自身を中傷したも同様」で、「他人を中傷する者は、大抵、自分自身も相手から中傷されるから」(アッ=ラーズイー10:109参照)。 [3] 信仰に入った後に、これらの罪を犯す者は「放逸な者」である(アル=カースィミー15:5461参照)。