[1] 人間が真に徳とすべきことは、大方の場合において嘲笑(ちょうしょう)の対象となる姿形、地位、状況といった表面的なものではなく、心の中に秘められた内面的なものである。ゆえに人は、もしかするとアッラー*の御許では自分よりも徳の高い者であるかもしれない他人を、無闇(むやみ)に蔑(さげす)むべきではない。そうすれば彼は、アッラー*の御許で高い地位にある者を蔑むことにより、自分自身を害することになるからだ(アブー・アッ=スウード8:121参照)。預言者*は、こう仰(おっしゃ)っている。「本当にアッラー*は、あなた方の姿や財産をご覧になるのではない。しかし、あなた方の心と行いをご覧になるのである。」(ムスリム「善行と血縁の絆と礼儀作法の書」34参照) [2] 他人が「あなた方自身」と表現されているのは、「同胞を中傷した者は、自分自身を中傷したも同様」で、「他人を中傷する者は、大抵、自分自身も相手から中傷されるから」(アッ=ラーズイー10:109参照)。 [3] 信仰に入った後に、これらの罪を犯す者は「放逸な者」である(アル=カースィミー15:5461参照)。