[1] ここで「喜ぶ」という訳をあてた原語は、「クッラトゥ・アイン(眼の涼しさ)」という表現の派生形。アラビア語で「眼が熱くなる」という表現が、「(悲しみゆえに)泣いてばかりいる状態」を表すのと逆に、「眼が涼しい」ことは、喜びを表す(イブン・アーシュール16:89参照)。 [2] 当時の「斎戒*」は、飲食だけでなく、言葉を慎(つつし)む 必要があったとされる。それゆえマルヤム*は、この言葉を喋らずに、仕草で示したのだという説もある(イブン・カスィール5:225参照)。
[1] ここでマルヤム*が、「ハールーン*の姉妹」と形容されていることに関し、イブン・カスィール*は「その崇拝*行為における熱心さにおいて、預言者*ハールーン*に類似していたため」「彼女が、預言者*ハールーン*の一族に属していたため」「彼女には実際、崇拝*と禁欲で有名なハールーン*という名の兄弟がいたため」といった説を挙げ、彼女が預言者*ハールーン*の実の姉妹という説は否定している(5:226-227参照)。
[1] 復活の日*、彼らは自分たちの不信仰・シルク*・(不適切な)言動を認め、自分たちの真の状況を明確に知って、後悔する(アッ=サァディー493頁参照)。 関連するアーヤ*として、家畜章158とその訳注、夜の旅章97「盲目・・・」の訳注も参照。