クルアーンの対訳 - 日亜対訳(日本語) - サイード佐藤

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68 : 25

وَٱلَّذِينَ لَا يَدۡعُونَ مَعَ ٱللَّهِ إِلَٰهًا ءَاخَرَ وَلَا يَقۡتُلُونَ ٱلنَّفۡسَ ٱلَّتِي حَرَّمَ ٱللَّهُ إِلَّا بِٱلۡحَقِّ وَلَا يَزۡنُونَۚ وَمَن يَفۡعَلۡ ذَٰلِكَ يَلۡقَ أَثَامٗا

また、アッラー*と並べて別の神を祈らず[1]、アッラー*が禁じられた者を正当な権利[2]なしには殺さず、姦通しない者たち。それ(らの大罪*)を行う者は誰でも、(来世で)罪(の報い)に出会うのだ。 info

[1] これはシルク*のこと。「神」については、雌牛章133の訳注を参照。 [2] 「正当な権利」については、家畜章151の訳注を参照。

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69 : 25

يُضَٰعَفۡ لَهُ ٱلۡعَذَابُ يَوۡمَ ٱلۡقِيَٰمَةِ وَيَخۡلُدۡ فِيهِۦ مُهَانًا

復活の日*、彼には懲罰が倍増され、卑しめられつつ、そこで永遠に留まることになる。[1] info

[1] 永遠に地獄に留まることになるのは、前アーヤ*で言及されていること全てを犯した者か、あるいはシルク*を犯した者(ムヤッサル366頁参照)。

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70 : 25

إِلَّا مَن تَابَ وَءَامَنَ وَعَمِلَ عَمَلٗا صَٰلِحٗا فَأُوْلَٰٓئِكَ يُبَدِّلُ ٱللَّهُ سَيِّـَٔاتِهِمۡ حَسَنَٰتٖۗ وَكَانَ ٱللَّهُ غَفُورٗا رَّحِيمٗا

但し、悔悟し、信仰し、正しい行い*を行う者、それらの者たちはアッラー*がその悪行を善行に換えて下さる。アッラー*はもとより、赦し深いお方、慈愛深い*お方なのだから。 info
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71 : 25

وَمَن تَابَ وَعَمِلَ صَٰلِحٗا فَإِنَّهُۥ يَتُوبُ إِلَى ٱللَّهِ مَتَابٗا

また、悔悟し、正しい行い*を行う者、本当に彼はアッラー*に対して、まさしく悔悟しているのである。 info
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72 : 25

وَٱلَّذِينَ لَا يَشۡهَدُونَ ٱلزُّورَ وَإِذَا مَرُّواْ بِٱللَّغۡوِ مَرُّواْ كِرَامٗا

また、偽りには立ち会わず[1]、戯言(が語られている状況)に出逢えば、綺麗に通り過ぎる[2]者たち。 info

[1] つまり、偽りの証言を始め、アッラー*の御徴を笑いの種にすること、無意味な議論、陰口、悪評を立てること、悪口、名誉毀損(きそん)、嘲笑(ちょうしょう)など、あらゆる非合法な物事に関わらないこと(アッ=サァディー587頁参照)。 [2] そのような場からは遠ざかり、自らの品位を保つべく、同席したり話に付き合ったりしないこと。そこには、下品な物事から目を背けること、他人の罪を大目に見てやること、直接的な表現が憚(はばか)れることを間接的に表現することなども、含まれる(アル=バイダーウィー4:229参照)。

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73 : 25

وَٱلَّذِينَ إِذَا ذُكِّرُواْ بِـَٔايَٰتِ رَبِّهِمۡ لَمۡ يَخِرُّواْ عَلَيۡهَا صُمّٗا وَعُمۡيَانٗا

また、その主*の御徴によって教訓を与えられれば、聾や盲目のようにはならず[1]、それに対して(サジダ*して)崩れ落ちる者たち。 info

[1] これはつまり、クルアーン*のアーヤ*や、アッラーの唯一性*を示す証拠を提示されれば、それを疎(おろそ)かにせず、むしろそれを心で理解し、それによって眼が開かれた状態となること(ムヤッサル366頁参照)。夜の旅章107-109も参照。

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74 : 25

وَٱلَّذِينَ يَقُولُونَ رَبَّنَا هَبۡ لَنَا مِنۡ أَزۡوَٰجِنَا وَذُرِّيَّٰتِنَا قُرَّةَ أَعۡيُنٖ وَٱجۡعَلۡنَا لِلۡمُتَّقِينَ إِمَامًا

また、「我らが主*よ、私たちの妻や子孫の内から、私たちに喜び[1]をお授け下さい。そして私たちを、敬虔*な者たちへの導師として下さい」と言う者たち。 info

[1] この「喜び」とは、善良で敬虔な子孫のこととされる(アル=バガウィー3:459参照)。また「喜び」という表現については、マルヤム*章26の訳注を参照。

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75 : 25

أُوْلَٰٓئِكَ يُجۡزَوۡنَ ٱلۡغُرۡفَةَ بِمَا صَبَرُواْ وَيُلَقَّوۡنَ فِيهَا تَحِيَّةٗ وَسَلَٰمًا

それらの者たち(慈悲あまねき*お方の僕たち)は、彼らの忍耐*ゆえに、(天国の)高き住まいによって報われる。そしてそこで、挨拶と平安[1]を授かるのだ。 info

[1] 天使*たちからの善い挨拶と、よい生活、あらゆる害悪からの無事のこと(ムヤッサル366頁参照)。雷鳴章24とその訳注も参照。

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76 : 25

خَٰلِدِينَ فِيهَاۚ حَسُنَتۡ مُسۡتَقَرّٗا وَمُقَامٗا

そこで永遠に留まる、それは定住地、滞在地として素晴らしいもの。 info
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77 : 25

قُلۡ مَا يَعۡبَؤُاْ بِكُمۡ رَبِّي لَوۡلَا دُعَآؤُكُمۡۖ فَقَدۡ كَذَّبۡتُمۡ فَسَوۡفَ يَكُونُ لِزَامَۢا

言ってやれ。「もし、あなた方の祈りがないのなら[1]、我が主*はあなた方のことなど、お気にもかけられない。(不信仰者*たちよ、)あなた方は確かに、嘘つき呼ばわりしたのだから。ならば、やがて(あなた方には、)それ(懲罰)が必然となろう」。 info

[1] 一説には、この「祈り」は「崇拝*」のこと。アッラー*はそもそも彼らをご自身のことを崇拝*し、かれの唯一性*を信じ、かれを称え*るように創造した(撒き散らすもの章56参照)のである(イブン・カスィール6:134参照)。

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