Fassarar Ma'anonin Alqura'ni - Fassara da Japananci, Said Sato

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73 : 21

وَجَعَلۡنَٰهُمۡ أَئِمَّةٗ يَهۡدُونَ بِأَمۡرِنَا وَأَوۡحَيۡنَآ إِلَيۡهِمۡ فِعۡلَ ٱلۡخَيۡرَٰتِ وَإِقَامَ ٱلصَّلَوٰةِ وَإِيتَآءَ ٱلزَّكَوٰةِۖ وَكَانُواْ لَنَا عَٰبِدِينَ

また、われら*は彼らを、われら*はの命令によって(人々を)導く導師とし、彼らに善行と、礼拝の遵守*、浄財*の拠出を啓示した。そして、彼らはわれら*を崇拝*する者だったのである。 info
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74 : 21

وَلُوطًا ءَاتَيۡنَٰهُ حُكۡمٗا وَعِلۡمٗا وَنَجَّيۡنَٰهُ مِنَ ٱلۡقَرۡيَةِ ٱلَّتِي كَانَت تَّعۡمَلُ ٱلۡخَبَٰٓئِثَۚ إِنَّهُمۡ كَانُواْ قَوۡمَ سَوۡءٖ فَٰسِقِينَ

また、われら*はルート*に裁決[1]と知識を授けた。そして彼を、(その民が)忌まわしい事[2]を働いていた町[3]から、救い出した。本当に彼らは、悪の民、放逸な者たちであった。 info

[1] この「裁決」は一説に、預言者*としての使命と、人々の間を裁く力のこと(前掲書328頁参照)。 [2] この「忌まわしい事」とは、 男色(高壁章80-81、フード*章77-79、詩人たち章165-166、蟻章54-55、蜘蛛章28-30参照)、人への投石、公然と放屁(ほうひ)し合うことなどであったとされる(アッ=タバリー7:5720参照)。 [3] この「町」については、フード*章81の訳注を参照。

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75 : 21

وَأَدۡخَلۡنَٰهُ فِي رَحۡمَتِنَآۖ إِنَّهُۥ مِنَ ٱلصَّٰلِحِينَ

そして、われら*は彼を、われら*の慈悲[1]の中に入れてやった。本当に彼は、正しい者*の一人であったのだから。 info

[1] この「慈悲」には、「預言者*としての使命」「イスラーム*」「天国」「不信仰の民*からの救い」など諸説あり(アル=クルトゥビー11:306参照)。

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76 : 21

وَنُوحًا إِذۡ نَادَىٰ مِن قَبۡلُ فَٱسۡتَجَبۡنَا لَهُۥ فَنَجَّيۡنَٰهُ وَأَهۡلَهُۥ مِنَ ٱلۡكَرۡبِ ٱلۡعَظِيمِ

また(使徒*よ、)ヌーフ*(のことを思い起こさせよ。)彼が以前、(その主*に祈って)呼びかけた時のこと[1]。われら*は彼に応え、彼とその家族を、この上ない苦悩[2]から救った。 info

[1] 呼びかけた祈りの内容については、月章10、ヌーフ*章26-27参照)。 [2] この「苦悩」とは、洪水によって溺れることと、民から嘘つき呼ばわりされていたこと(アル=バガウィー3:298参照)。

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77 : 21

وَنَصَرۡنَٰهُ مِنَ ٱلۡقَوۡمِ ٱلَّذِينَ كَذَّبُواْ بِـَٔايَٰتِنَآۚ إِنَّهُمۡ كَانُواْ قَوۡمَ سَوۡءٖ فَأَغۡرَقۡنَٰهُمۡ أَجۡمَعِينَ

そしてわれら*は、われら*の御徴を嘘呼ばわりした民から、彼を助けた。本当に彼らは悪の民だったのであり、われら*は彼らを皆、溺れさせたのだ。 info
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78 : 21

وَدَاوُۥدَ وَسُلَيۡمَٰنَ إِذۡ يَحۡكُمَانِ فِي ٱلۡحَرۡثِ إِذۡ نَفَشَتۡ فِيهِ غَنَمُ ٱلۡقَوۡمِ وَكُنَّا لِحُكۡمِهِمۡ شَٰهِدِينَ

また(使徒*よ)、ダーウード*とスライマーン*(のことを思い起こさせよ)。彼ら二人が、農作地について(争う二人の者を)裁いた時のこと。(それは、)そこに夜中、(一方の)民の羊が侵入して(、別の民の)作物を食べ(荒らし)てしまった時のことだった。われら*は、彼らの裁決に立ち会っていたのである。 info
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79 : 21

فَفَهَّمۡنَٰهَا سُلَيۡمَٰنَۚ وَكُلًّا ءَاتَيۡنَا حُكۡمٗا وَعِلۡمٗاۚ وَسَخَّرۡنَا مَعَ دَاوُۥدَ ٱلۡجِبَالَ يُسَبِّحۡنَ وَٱلطَّيۡرَۚ وَكُنَّا فَٰعِلِينَ

そして、われら*はスライマーン*に、それ(争う両者の利益を公正に配慮すること)についての理解を授けた[1]。--われら*は(両者の)いずれにも、裁決[2]と知識を授けたのである[3]--。またダーウード*には、(その主*を)称える*山々と鳥を仕えさせた[4]。そして、われら*は(そのように)する者であった。 info

[1] ダーウード*は、羊が、荒らされた農作地の所有者のものとなるように裁いた。一方スライマーン*は、羊の所有者が荒らされた農作地を元通りにするまで、農作地の所有者が羊の乳や羊毛などを利用することが出来るものとし、農作地が元通りになった後には、農作地と羊がそれぞれ元の所有者のもとに返還されるようにした(ムヤッサル328頁参照)。 [2] この「裁決」については、アーヤ*74の訳注を参照。 [3] アル=クルトゥビー*によれば、ダーウード*とスライマーン*はこの裁決において、啓示ではなく、自らの知的努力によって見解を導き出した、というのが大半の学者の説である。そして二人の裁決の差異については、以下のような学者の意見がある。①ダーウード*はこの件において間違えたわけではなく、「裁決と知識」を与えられてはいたが、スライマーン*の方が彼より優れていた。②この件に限ってみれば、ダーウード*は間違い、スライマーン*は正しかったが、預言者*でも(このような分野での)間違いはあり得る(雌牛章36の訳注も参照)。ただ、預言者*は間違いを承認し続けることがない(11:308-309参照)。 [4] 一説には、ダーウード*は柔らかく繊細な美声の持ち主だった。それで彼がアッラー*を称える*と、山々や鳥がそれに応えて、アッラー*を称え*たのだという(アッ=サァディー528頁参照)。 サバア章10、サード章18-19も参照。

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80 : 21

وَعَلَّمۡنَٰهُ صَنۡعَةَ لَبُوسٖ لَّكُمۡ لِتُحۡصِنَكُم مِّنۢ بَأۡسِكُمۡۖ فَهَلۡ أَنتُمۡ شَٰكِرُونَ

また、われら*は彼(ダーウード*)に、あなた方のための鎧の作り方を教えた[1]。(それは)あなた方を、あなた方の戦い(の中での負傷)から守るためである。ならば、あなた方は(アッラー*の恩恵を)感謝する者なのか?[2] info

[1] サバア章10-11も参照。 [2] この言い回しについては、食卓章91「あなた方は・・・止めるのか?」についての訳注を参照。

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81 : 21

وَلِسُلَيۡمَٰنَ ٱلرِّيحَ عَاصِفَةٗ تَجۡرِي بِأَمۡرِهِۦٓ إِلَى ٱلۡأَرۡضِ ٱلَّتِي بَٰرَكۡنَا فِيهَاۚ وَكُنَّا بِكُلِّ شَيۡءٍ عَٰلِمِينَ

またスライマーン*には、彼の命令のもと、われら*が祝福した地[1]まで吹いて行く強い風を(仕えさせた)[2]。われら*はもとより、全ての物事を知っていたのである。 info

[1] この「われら*が祝福した地」とは、エルサレムのこととされる(ムヤッサル328頁参照)。 [2] サバア章12、サード章36も参照。

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