Übersetzung der Bedeutungen von dem heiligen Quran - Die japanische Übersetzung - Said Sato.

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98 : 18

قَالَ هَٰذَا رَحۡمَةٞ مِّن رَّبِّيۖ فَإِذَا جَآءَ وَعۡدُ رَبِّي جَعَلَهُۥ دَكَّآءَۖ وَكَانَ وَعۡدُ رَبِّي حَقّٗا

彼(ズル=カルナイン*)は言った。「これは、我が主*からのご慈悲。そして我が主*のお約束[1]が到来すれば、かれはそれ(高壁)を真っ平らにされる。そして我が主*のお約束は、もとより真実なのだ」。 info

[1] 復活の日*、あるいはヤァジュージュとマァジュージュが障壁の向こうから出現する時のこと(アル=クルトゥビー11:63参照)。預言者*たち章96も参照。

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99 : 18

۞ وَتَرَكۡنَا بَعۡضَهُمۡ يَوۡمَئِذٖ يَمُوجُ فِي بَعۡضٖۖ وَنُفِخَ فِي ٱلصُّورِ فَجَمَعۡنَٰهُمۡ جَمۡعٗا

また、われら*は彼ら(ヤァジュージュとマァジュージュ)をその日、次から次へと押し寄せ、入り混じるがままにさせる。そして角笛[1]が吹き鳴らされ、われら*は彼ら(人々)を一斉に召集するのだ。 info

[1] これは、復活を知らせる角笛のこと(ムヤッサル304頁参照)。 家畜章73の訳注も参照。

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100 : 18

وَعَرَضۡنَا جَهَنَّمَ يَوۡمَئِذٖ لِّلۡكَٰفِرِينَ عَرۡضًا

また、われら*はその日、不信仰者*たちに地獄をまざまざと見せる。 info
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101 : 18

ٱلَّذِينَ كَانَتۡ أَعۡيُنُهُمۡ فِي غِطَآءٍ عَن ذِكۡرِي وَكَانُواْ لَا يَسۡتَطِيعُونَ سَمۡعًا

(彼らは)われら*の教訓から、その眼を覆われていた者たちであり、聞くことも出来なかったのだ。[1] info

[1] 関連する内容として、雌牛章7、フード*章20とその訳注も参照。

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102 : 18

أَفَحَسِبَ ٱلَّذِينَ كَفَرُوٓاْ أَن يَتَّخِذُواْ عِبَادِي مِن دُونِيٓ أَوۡلِيَآءَۚ إِنَّآ أَعۡتَدۡنَا جَهَنَّمَ لِلۡكَٰفِرِينَ نُزُلٗا

一体不信仰に陥った者*たちは、われを差しおいて、わが僕たちを庇護者としようと思っていたのか?[1]本当にわれら*は地獄を、不信仰者*たちの御もてなし[2]として用意しておいたのである。 info

[1] つまり彼らは、アッラー*を差し置いて自分たちの庇護者としていたものが、自分たちを益したり、害したりすると思い込んでいた(アッ=サァディー487頁参照)。 [2] 「御もてなし」の原語は「ヌズル」で、滞在者や客をもてなすためのもの。ここでは修辞的意味から、彼らへの蔑(さげす)みとして、懲罰に対して用いられている(イブン・アーシュール15:141参照)。

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103 : 18

قُلۡ هَلۡ نُنَبِّئُكُم بِٱلۡأَخۡسَرِينَ أَعۡمَٰلًا

(使徒*よ、)言うがよい。「あなた方に、行いにおける最大の損失者について教えようか? info
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104 : 18

ٱلَّذِينَ ضَلَّ سَعۡيُهُمۡ فِي ٱلۡحَيَوٰةِ ٱلدُّنۡيَا وَهُمۡ يَحۡسَبُونَ أَنَّهُمۡ يُحۡسِنُونَ صُنۡعًا

(彼らは、)自分たちが善い仕事をしていると思いつつ[1]も、(実は)現世の生活での自分の努力が、徒労になってしまっている者たち」。 info

[1] 「善い仕事」と思っていることでも無駄(むだ)になるのだから、彼ら自身が「無意味な物事」と分かっていることは、尚更である(アッ=サァディー487頁参照)。

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105 : 18

أُوْلَٰٓئِكَ ٱلَّذِينَ كَفَرُواْ بِـَٔايَٰتِ رَبِّهِمۡ وَلِقَآئِهِۦ فَحَبِطَتۡ أَعۡمَٰلُهُمۡ فَلَا نُقِيمُ لَهُمۡ يَوۡمَ ٱلۡقِيَٰمَةِ وَزۡنٗا

それらの者たちは、自分たちの主*の御徴と、(来世における)かれとの拝謁を否定し、それでその行いが無駄になった者たち。それでわれら*は復活の日*、彼らに僅かばかりの価値も認めないのだ。 info
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106 : 18

ذَٰلِكَ جَزَآؤُهُمۡ جَهَنَّمُ بِمَا كَفَرُواْ وَٱتَّخَذُوٓاْ ءَايَٰتِي وَرُسُلِي هُزُوًا

それは彼らが不信仰に陥り、わが御徴とわが使徒*たちを嘲笑の的としていたことゆえの、地獄という彼らの応報である。 info
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107 : 18

إِنَّ ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ وَعَمِلُواْ ٱلصَّٰلِحَٰتِ كَانَتۡ لَهُمۡ جَنَّٰتُ ٱلۡفِرۡدَوۡسِ نُزُلًا

本当に、信仰し、正しい行い*を行う者たちには、御もてなしとしてフィルダウスの楽園[1]がある。 info

[1] 天国の楽園にも、様々なランクがある。「フィルダウス」はその中でも、最高の場所とされる。預言者*ムハンマド*は仰(おっしゃ)った 。「アッラー*にお願いするのなら、フィルダウスをお願いせよ。実にそれは天国の最も中心部、最高部にある。その上には慈悲あまねき*お方の御座(みくら)が見え、そこから天国の河川(かせん)が噴(ふ)き出しているのだ」(アル=ブハーリー2790参照)。

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108 : 18

خَٰلِدِينَ فِيهَا لَا يَبۡغُونَ عَنۡهَا حِوَلٗا

(彼らは)そこに永遠に留まり、そこから(いかなる別の場所にも)移されることを望まない。 info
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109 : 18

قُل لَّوۡ كَانَ ٱلۡبَحۡرُ مِدَادٗا لِّكَلِمَٰتِ رَبِّي لَنَفِدَ ٱلۡبَحۡرُ قَبۡلَ أَن تَنفَدَ كَلِمَٰتُ رَبِّي وَلَوۡ جِئۡنَا بِمِثۡلِهِۦ مَدَدٗا

(使徒*よ、)言ってやれ。「もし海が、我が主*の御言葉(を書き写すため)のインクであったとしたら、我が主*の御言葉が尽きる前に、海は枯れ果ててしまったであろう。たとえ、われら*がそれと同様のものをもう一つ、補充分として持って来たとしても」。[1] info

[1] 「アッラー*の御言葉」は、かれの属性(ぞくせい)の一つであり、無限かつ人の想像を超えるものである(アッ=サァディー488頁参照)。ルクマーン章27も参照。

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110 : 18

قُلۡ إِنَّمَآ أَنَا۠ بَشَرٞ مِّثۡلُكُمۡ يُوحَىٰٓ إِلَيَّ أَنَّمَآ إِلَٰهُكُمۡ إِلَٰهٞ وَٰحِدٞۖ فَمَن كَانَ يَرۡجُواْ لِقَآءَ رَبِّهِۦ فَلۡيَعۡمَلۡ عَمَلٗا صَٰلِحٗا وَلَا يُشۡرِكۡ بِعِبَادَةِ رَبِّهِۦٓ أَحَدَۢا

(使徒*よ、)言え。「私は、『あなた方の(真に)崇拝*すべきは、ただ一つの神[1]』と啓示が下されている、あなた方と同様の一人の人間に過ぎない。それで自分の主*との拝謁を望む[2]者は、正しい行い*に励み、自分の主*の崇拝*において、いかなるものも並べてはならない[3]」。 info

[1] 同位者のいない、崇拝*すべき唯一の存在であるアッラー*のこと(前掲書489頁参照)。 [2] この「望む」という語には、「恐れる」という意味もある(アル=バガウィー3:222参照)。ユーヌス*章7「望まず」の訳注も参照。
[3]つまりシルク*を犯してはならない、ということ。

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