Qurani Kərimin mənaca tərcüməsi - Yapon dilinə tərcümə- Səid Sato.

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131 : 7

فَإِذَا جَآءَتۡهُمُ ٱلۡحَسَنَةُ قَالُواْ لَنَا هَٰذِهِۦۖ وَإِن تُصِبۡهُمۡ سَيِّئَةٞ يَطَّيَّرُواْ بِمُوسَىٰ وَمَن مَّعَهُۥٓۗ أَلَآ إِنَّمَا طَٰٓئِرُهُمۡ عِندَ ٱللَّهِ وَلَٰكِنَّ أَكۡثَرَهُمۡ لَا يَعۡلَمُونَ

そして彼らは、自分たちに順境が訪れた時には、「私たちにこそ、これは(当然の権利として)属するのである」と言い、もし災難が彼らを襲えば、ムーサー*と彼と共にある者を、不吉がった[1]。本当に彼らの不吉のもとは、アッラー*の御許にある[2]のではないか。しかし彼らの大半は、分からないのだ。 info

[1] 「不吉に思う(タタイヤル)」は、「鳥(タイル)」という語 から派生した語。ジャーヒリーヤ*では鳥の動向で吉兆(きっちょう)を占う習慣があり、それが転じて、全ての「不吉に思われる物事」に対し、この表現が用いられるようになった(イブン・アーシュール9:65-66参照)。 [2] あなた方に降りかかる災難は、全てアッラー*の定めとご裁決によるもの、あなた方の罪と不信仰によるものである、という意味(ムヤッサル166頁参照)。あるいは、順境でも逆境でも、あなた方に訪れる全てのものは、アッラー*からのものである、という意味(アル=バガウィー2:223参照)

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