আল-কোৰআনুল কাৰীমৰ অৰ্থানুবাদ - জাপানিজ অনুবাদ- ছাঈদ ছাতো

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54 : 10

وَلَوۡ أَنَّ لِكُلِّ نَفۡسٖ ظَلَمَتۡ مَا فِي ٱلۡأَرۡضِ لَٱفۡتَدَتۡ بِهِۦۗ وَأَسَرُّواْ ٱلنَّدَامَةَ لَمَّا رَأَوُاْ ٱلۡعَذَابَۖ وَقُضِيَ بَيۡنَهُم بِٱلۡقِسۡطِ وَهُمۡ لَا يُظۡلَمُونَ

もし、不正*(シルク*)を働いたあらゆる者に、地上にあるもの(全て)があったなら、(そして、それを懲罰を免れるための代償とすることが出来たのならば、)それで償ったであろう。そして懲罰を目の当たりにする時、彼らは(余りの恐怖ゆえ)後悔の念を露わに出来ない[1]。彼らは不正*を受けることなく、自分たちの間を公正に裁かれるのだ。 info

[1] 「露わに出来ない」と訳した動詞「アラッサ」には、「露わにする」という全く逆の意味もある(アル=バガウィー2:423参照)。

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55 : 10

أَلَآ إِنَّ لِلَّهِ مَا فِي ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِۗ أَلَآ إِنَّ وَعۡدَ ٱللَّهِ حَقّٞ وَلَٰكِنَّ أَكۡثَرَهُمۡ لَا يَعۡلَمُونَ

本当にアッラー*にこそ、諸天と大地にあるもの(全て)が属するのではないか。本当にアッラー*のお約束[1]は、真実ではないか。だが、彼らの大半は知らないのだ。 info

[1] 褒美と懲罰という「お約束」のこと(アル=バイダーウィー3:203参照)。

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56 : 10

هُوَ يُحۡيِۦ وَيُمِيتُ وَإِلَيۡهِ تُرۡجَعُونَ

かれは生をもたらされ、死をもたらせせられる。そしてかれ(の御許)にこそ、あなた方は戻らされるのである。 info
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57 : 10

يَٰٓأَيُّهَا ٱلنَّاسُ قَدۡ جَآءَتۡكُم مَّوۡعِظَةٞ مِّن رَّبِّكُمۡ وَشِفَآءٞ لِّمَا فِي ٱلصُّدُورِ وَهُدٗى وَرَحۡمَةٞ لِّلۡمُؤۡمِنِينَ

人々よ、あなた方のもとには確かに、あなた方の主*からの訓戒と、胸の内にあるものへの癒し[1]、導きと、信仰者たちへの慈悲(である、クルアーン*)が到来した。 info

[1] クルアーン*は間際(まぎわ)らしい間違いや、疑念への癒しであり、心の中の汚れを除去してくれるものである(イブン・カスィール4:274参照)。

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58 : 10

قُلۡ بِفَضۡلِ ٱللَّهِ وَبِرَحۡمَتِهِۦ فَبِذَٰلِكَ فَلۡيَفۡرَحُواْ هُوَ خَيۡرٞ مِّمَّا يَجۡمَعُونَ

(使徒*よ、)言うのだ。「アッラー*のご恩寵とそのご慈悲[1]ゆえに(喜べ)、それゆえにこそ喜ぶがよい。それは彼らが(現世で)集めている(つまらなく儚い)ものより、善いのだから」。 info

[1] ここでの「ご恩寵とご慈悲」とは、アッラー*のお導きと、イスラーム*のこと(ムヤッサル215頁参照)。

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59 : 10

قُلۡ أَرَءَيۡتُم مَّآ أَنزَلَ ٱللَّهُ لَكُم مِّن رِّزۡقٖ فَجَعَلۡتُم مِّنۡهُ حَرَامٗا وَحَلَٰلٗا قُلۡ ءَآللَّهُ أَذِنَ لَكُمۡۖ أَمۡ عَلَى ٱللَّهِ تَفۡتَرُونَ

(使徒*よ、彼ら不信仰者*たちに)言ってやるがいい。「言ってみよ、アッラー*があなた方のために下された糧のもの(について)。あなた方は(自分たちに)、その一部を非合法とし、(別の一部を)合法とした[1]」。言ってやれ。「一体アッラー*が、あなた方に(それを)許可されたのか?いや、あなた方はアッラー*に対して(嘘を)捏造しているのだ」。 info

[1] 具体例として、食卓章103、家畜章136、138-139も参照。

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60 : 10

وَمَا ظَنُّ ٱلَّذِينَ يَفۡتَرُونَ عَلَى ٱللَّهِ ٱلۡكَذِبَ يَوۡمَ ٱلۡقِيَٰمَةِۗ إِنَّ ٱللَّهَ لَذُو فَضۡلٍ عَلَى ٱلنَّاسِ وَلَٰكِنَّ أَكۡثَرَهُمۡ لَا يَشۡكُرُونَ

復活の日*、アッラー*に対して嘘を捏造する者たちの(、自分たちの結末に対する)予測は、いかなるものであろう?アッラー*こそはまさしく、人々への恩寵の主であられるが、彼らの大半は感謝しない。 info
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61 : 10

وَمَا تَكُونُ فِي شَأۡنٖ وَمَا تَتۡلُواْ مِنۡهُ مِن قُرۡءَانٖ وَلَا تَعۡمَلُونَ مِنۡ عَمَلٍ إِلَّا كُنَّا عَلَيۡكُمۡ شُهُودًا إِذۡ تُفِيضُونَ فِيهِۚ وَمَا يَعۡزُبُ عَن رَّبِّكَ مِن مِّثۡقَالِ ذَرَّةٖ فِي ٱلۡأَرۡضِ وَلَا فِي ٱلسَّمَآءِ وَلَآ أَصۡغَرَ مِن ذَٰلِكَ وَلَآ أَكۡبَرَ إِلَّا فِي كِتَٰبٖ مُّبِينٍ

(使徒*よ、)あなたが何らかの用事中でも、まさにクルアーン*から読誦する時でも、あなた方がいかなる行為を行っている時でも、あなた方がそれに取りかかっている時、われら*はもとより、あなた方を見守る者なのである。そして僅かな重みでも、大地にあろうが天にあろうが、あなたの主*(の知識)から免れることはない。また、それより小さいものでも、大きなものでも、明白な書[1]に(予め記されてい)ないものはないのだ。[2] info

[1] この「明白な書」とは、守られし碑板*のことである、とされる(アル=バガウィー2:424参照)。 [2] 同様のアーヤ*として、婦人章40、家畜章59、サバア章3も参照。

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