Қуръони Карим маъноларининг таржимаси - Японча таржима - Саид Сато

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52 : 7

وَلَقَدۡ جِئۡنَٰهُم بِكِتَٰبٖ فَصَّلۡنَٰهُ عَلَىٰ عِلۡمٍ هُدٗى وَرَحۡمَةٗ لِّقَوۡمٖ يُؤۡمِنُونَ

われら*は彼ら(不信仰者)に、われら*が知識と共に明らかにした、信仰する民への導き、慈悲である啓典(クルアーン*)を、確かにもたらしたのだ。 info
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53 : 7

هَلۡ يَنظُرُونَ إِلَّا تَأۡوِيلَهُۥۚ يَوۡمَ يَأۡتِي تَأۡوِيلُهُۥ يَقُولُ ٱلَّذِينَ نَسُوهُ مِن قَبۡلُ قَدۡ جَآءَتۡ رُسُلُ رَبِّنَا بِٱلۡحَقِّ فَهَل لَّنَا مِن شُفَعَآءَ فَيَشۡفَعُواْ لَنَآ أَوۡ نُرَدُّ فَنَعۡمَلَ غَيۡرَ ٱلَّذِي كُنَّا نَعۡمَلُۚ قَدۡ خَسِرُوٓاْ أَنفُسَهُمۡ وَضَلَّ عَنۡهُم مَّا كَانُواْ يَفۡتَرُونَ

一体彼らは、その結末[1]を待っているだけなのか?その結末がやって来る(復活の)日*、以前それを忘れていた者たち[2]は、(こう)言うのだ。「我らが主*の使徒*たちは、真理と共に確かに到来しました。では、私たちに誰か(アッラー*の御許での)執り成し手がおり、それで彼らは私たちに執り成してくれるでしょうか?[3]あるいは私たちは(現世に)戻されて、私たちが行っていたものとは違う(善い)行いをする(ことは、出来ます)でしょうか?[4]」彼らは確かに、自分自身を損ねたのである。そして彼らがでっち上げていたもの[5]は、彼らの前から消え失せてしまった。 info

[1] クルアーン*の中で彼ら不信仰者*に警告されていた、懲罰のこと(ムヤッサル157頁参照)。 [2] 現世でクルアーン*を放棄(ほうき)し、信じなかった者たちのこと(前掲書、同頁参照)。 [3] 復活の日*の「執り成し」については、雌牛章48、マルヤム*章87、ター・ハー章109とその訳注を参照。 [4] いざ復活の日*(あるいは死)が到来すると、彼らは現世での猶予を求めたり、自分たちを現世に返してくれることを頼んだりする。だが、もちろんそれは叶わない。家畜章27-28、イブラーヒーム*章44、信仰者たち章99-100、アッ=サジダ*章12、創成者*章37、赦し深いお方章11-12、相談章44、偽信者たち章10-11も参照。 [5] 現世で、彼らがアッラー*と並べて崇拝*していたもののこと(ムヤッサル157頁参照)。

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54 : 7

إِنَّ رَبَّكُمُ ٱللَّهُ ٱلَّذِي خَلَقَ ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضَ فِي سِتَّةِ أَيَّامٖ ثُمَّ ٱسۡتَوَىٰ عَلَى ٱلۡعَرۡشِۖ يُغۡشِي ٱلَّيۡلَ ٱلنَّهَارَ يَطۡلُبُهُۥ حَثِيثٗا وَٱلشَّمۡسَ وَٱلۡقَمَرَ وَٱلنُّجُومَ مُسَخَّرَٰتِۭ بِأَمۡرِهِۦٓۗ أَلَا لَهُ ٱلۡخَلۡقُ وَٱلۡأَمۡرُۗ تَبَارَكَ ٱللَّهُ رَبُّ ٱلۡعَٰلَمِينَ

本当にあなた方の主*は、諸天の大地を六日間で創造され[1]、それから御座に上がられた[2]アッラー*である。かれは夜を昼に覆わせられ(、昼を夜にお入れにな)る[3]。それは(互いに)相手をせわしなく求める⁴。また(かれは)太陽も月も星々も、そのご命令によって(かれがお望みの者に)奉仕させられるもの(として、お創りになった)。かれにこそ、(全ての)創造とご命令は属するのではないか?全創造物の主*アッラー*は、祝福にあふれたお方よ。 info

[1] 「六日間での天地創造」については、詳細にされた章9-12とその訳注も参照。 [2] 「御座(アルシュ)」はそもそもアラビア語で、寝台の意。アッラー*の御座は最も偉大な被造物である、と言われる。「御座にお上がりになる」という表現に関しては、それを「いかに?」と問わず、その行為を他の被造物の行為と同様のものと見なすことなく、また否定せずにそのまま受け入れるのが、先代の模範(もはん)的なムスリム*たちの主法(アル=バガウィー2:197、イブン・カスィール3:426-427参照)。 [3] イムラーン家章27の、同様のくだりに関する訳注を参照。

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55 : 7

ٱدۡعُواْ رَبَّكُمۡ تَضَرُّعٗا وَخُفۡيَةًۚ إِنَّهُۥ لَا يُحِبُّ ٱلۡمُعۡتَدِينَ

(信仰者よ、)あなた方の主*におそれ畏まりつつ、密かに祈るのだ。本当にかれは、度を超す者たちをお好きではないのだから。[1] info

[1] 全ての物事において、「度を越すこと」は禁じられる。アッラー*に対して不適切なことを祈ったり、祈願を誇張したり、その声を上げ過ぎたりすることも、その内の一つ(アッ=サアディ291頁参照)。

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56 : 7

وَلَا تُفۡسِدُواْ فِي ٱلۡأَرۡضِ بَعۡدَ إِصۡلَٰحِهَا وَٱدۡعُوهُ خَوۡفٗا وَطَمَعًاۚ إِنَّ رَحۡمَتَ ٱللَّهِ قَرِيبٞ مِّنَ ٱلۡمُحۡسِنِينَ

また地上で、(使徒*が遣わされて)そこが正された後、腐敗*働いてはならない。そして(アッラー*の懲罰を)怖れ、(その褒美を)望みつつ、かれに祈るのだ。本当にアッラー*のご慈悲は、善を尽くす者[1]たちの間近にあるのだから。 info

[1] 「善を尽くす者」については、蜜蜂章128の訳注を参照。

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57 : 7

وَهُوَ ٱلَّذِي يُرۡسِلُ ٱلرِّيَٰحَ بُشۡرَۢا بَيۡنَ يَدَيۡ رَحۡمَتِهِۦۖ حَتَّىٰٓ إِذَآ أَقَلَّتۡ سَحَابٗا ثِقَالٗا سُقۡنَٰهُ لِبَلَدٖ مَّيِّتٖ فَأَنزَلۡنَا بِهِ ٱلۡمَآءَ فَأَخۡرَجۡنَا بِهِۦ مِن كُلِّ ٱلثَّمَرَٰتِۚ كَذَٰلِكَ نُخۡرِجُ ٱلۡمَوۡتَىٰ لَعَلَّكُمۡ تَذَكَّرُونَ

かれはそのご慈悲(雨)の前触れに、吉報を告げる風を送られるお方。やがてそれは(雨を湛えた)重厚な雲を運び、われら*はそれを死んだ大地[1]へと導く。そして、われら*はそれで(雨)水を降らせ、それによってあらゆる果実を生まれ出させる。同様にわれら*は、あなた方が教訓を得るようにと、死者を(蘇らせて墓から)引き出すのである。 info

[1] 枯れ果てて植物の育たない土地のこと(ムヤッサル158頁参照)。

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