ශුද්ධවූ අල් කුර්ආන් අර්ථ කථනය - ජපන් පරිවර්තනය - සඊද් සාතූ

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28 : 17

وَإِمَّا تُعۡرِضَنَّ عَنۡهُمُ ٱبۡتِغَآءَ رَحۡمَةٖ مِّن رَّبِّكَ تَرۡجُوهَا فَقُل لَّهُمۡ قَوۡلٗا مَّيۡسُورٗا

もしあなたが、あなたが望む、あなたの主*からのご慈悲の不在ゆえ、彼らから背を向けるというのであれば、彼らには優しい物言いをせよ。[1] info

[1] ここでの「ご慈悲」は、糧のこととされる。つまり施しを求められても物質的な余裕がないため、断らなければならない時には、彼らに(余裕が出来たら施すという)よい約束をしなさい、ということ(アッ=タバリー6:5158参照)。

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29 : 17

وَلَا تَجۡعَلۡ يَدَكَ مَغۡلُولَةً إِلَىٰ عُنُقِكَ وَلَا تَبۡسُطۡهَا كُلَّ ٱلۡبَسۡطِ فَتَقۡعُدَ مَلُومٗا مَّحۡسُورًا

また、(善いことに費やす)あなたの手を自分の首に縛りつけたままにしたり、それ(手)を完全に解き放ったりしてはならない。そうすればあなたは咎められ、悲しみ続けることになろうから。[1] info

[1] 「手を自分の首に縛りつける」とは、自分自身と自分の家族、困っている者たちに対して十分に費やさないこと。「完全に解き放つ」とは、出費において浪費し、自分の能力以上のものを与えること。前者は他人から咎められ、後者は後悔することになる(ムヤッサル285頁参照)。

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30 : 17

إِنَّ رَبَّكَ يَبۡسُطُ ٱلرِّزۡقَ لِمَن يَشَآءُ وَيَقۡدِرُۚ إِنَّهُۥ كَانَ بِعِبَادِهِۦ خَبِيرَۢا بَصِيرٗا

本当にあなたの主*は、かれがお望みの者に糧を豊富に与えられ、また控えられる[1]。本当にかれはもとより、その僕たちにご通暁されており、(その全てを)よくご覧になるお方なのだから。 info

[1] 物語章82、サバア章36、暁章15-16と、それらの訳注も参照。

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31 : 17

وَلَا تَقۡتُلُوٓاْ أَوۡلَٰدَكُمۡ خَشۡيَةَ إِمۡلَٰقٖۖ نَّحۡنُ نَرۡزُقُهُمۡ وَإِيَّاكُمۡۚ إِنَّ قَتۡلَهُمۡ كَانَ خِطۡـٔٗا كَبِيرٗا

また(人々よ)、貧困を恐れてあなた方の子供を殺してはならない。われら*が彼らと、あなた方を養うのだから。本当に彼らの殺害は元来大きな罪である。[1] info

[1] 「子供を殺すこと」については、家畜章137とその訳注も参照。

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32 : 17

وَلَا تَقۡرَبُواْ ٱلزِّنَىٰٓۖ إِنَّهُۥ كَانَ فَٰحِشَةٗ وَسَآءَ سَبِيلٗا

また、姦淫には近づくな[1]。実に、それは醜行[2]であり、悪い道なのだから。 info

[1] 姦淫に「近づくこと」の禁止は、姦淫そのものの禁止よりも意味が強い。それは、姦淫を招くようなあらゆる事柄を禁じているからである(アッ=サァディー457頁参照)。 [2] 「醜行」については、蜜蜂章90の訳注を参照。

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33 : 17

وَلَا تَقۡتُلُواْ ٱلنَّفۡسَ ٱلَّتِي حَرَّمَ ٱللَّهُ إِلَّا بِٱلۡحَقِّۗ وَمَن قُتِلَ مَظۡلُومٗا فَقَدۡ جَعَلۡنَا لِوَلِيِّهِۦ سُلۡطَٰنٗا فَلَا يُسۡرِف فِّي ٱلۡقَتۡلِۖ إِنَّهُۥ كَانَ مَنصُورٗا

また、権利[1]がない限り、アッラー*が(その殺害を)禁じられた者を殺してはならない。不正*に殺された者は、われら*が確かに彼の後見人[2]に、根拠[3]を与えたのだ。ならば、無駄に命を奪ってはならない[4]。本当に彼(後見人)は、(その権利を満たすことにおいて)援助される者なのだから。 info

[1] この「権利」については、家畜章151の訳注を参照。 [2] あるいは、イスラーム*法による統治者(ムヤッサル285頁参照)。 [3] この「根拠」とは、キサース刑(雌牛章178とその訳注を参照)、または刑の代わりに代償金を請求すること、あるいはいかなる代償もなしに赦免(しゃめん)すること(アッ=タバリー6:5165参照)。 [4] 殺された者の後継人が、キサース刑で処刑した者の遺体を傷つけたり、加害者以外の者を殺したりすること。あるいは、一般的に、正当な権利もなく人の命を奪うこと(アッ=タバリー6:5165)。

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34 : 17

وَلَا تَقۡرَبُواْ مَالَ ٱلۡيَتِيمِ إِلَّا بِٱلَّتِي هِيَ أَحۡسَنُ حَتَّىٰ يَبۡلُغَ أَشُدَّهُۥۚ وَأَوۡفُواْ بِٱلۡعَهۡدِۖ إِنَّ ٱلۡعَهۡدَ كَانَ مَسۡـُٔولٗا

また、孤児の財産には、それが最善の形[1]でない限り、彼が成熟[2]するまで近づいてはならない。そして契約を全うするのだ[3]。実に契約は(復活の日*)、問われることになるのだから。 info

[1] この「最善の形」については、家畜章152を参照。 [2] この「成熟」については、家畜章152の訳注を参照。 [3] 食卓章1「契約を果たす」の訳注も参照。

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35 : 17

وَأَوۡفُواْ ٱلۡكَيۡلَ إِذَا كِلۡتُمۡ وَزِنُواْ بِٱلۡقِسۡطَاسِ ٱلۡمُسۡتَقِيمِۚ ذَٰلِكَ خَيۡرٞ وَأَحۡسَنُ تَأۡوِيلٗا

また(他人のために)量る時には升を全うし、正しい秤でもって量るのだ[1]。それが(現世で)より善いことなのであり、(来世で)より善い結果となるのだから。 info

[1] 「升」と「秤」については、家畜章152の訳注を参照。

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36 : 17

وَلَا تَقۡفُ مَا لَيۡسَ لَكَ بِهِۦ عِلۡمٌۚ إِنَّ ٱلسَّمۡعَ وَٱلۡبَصَرَ وَٱلۡفُؤَادَ كُلُّ أُوْلَٰٓئِكَ كَانَ عَنۡهُ مَسۡـُٔولٗا

また(人間よ)、あなたの知識のないものに従ってはならない。実に聴覚も視覚も心も、それら全ては、それ[1]について問われることになるのだから。 info

[1] 「それ」とは、聴覚、視覚、心を用いて行った物事。それらを善に用いれば褒美を得ることになり、悪に用いれば罰を受けることになる(ムヤッサル285頁参照)。 復活の日*に「問われる」ことについては、高壁章8の訳注を参照。

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37 : 17

وَلَا تَمۡشِ فِي ٱلۡأَرۡضِ مَرَحًاۖ إِنَّكَ لَن تَخۡرِقَ ٱلۡأَرۡضَ وَلَن تَبۡلُغَ ٱلۡجِبَالَ طُولٗا

また、大地を得意然として歩いてはならない。本当にあなたは(そのような歩き方で)大地を裂くこともなければ、(その高慢さによって)山々ほどに背高くなることも叶わないだろうから。 info
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38 : 17

كُلُّ ذَٰلِكَ كَانَ سَيِّئُهُۥ عِندَ رَبِّكَ مَكۡرُوهٗا

それらは皆、その悪が、あなたの主*の御許で厭われることなのだ。[1] info

[1] 「その悪」とは、アーヤ*22から37までの中で示された物事の内、シルク*や親不行、浪費など、悪と定められたこと(アッ=サァディー457頁参照)。またここでの「厭われること」とは法学用語的な意味合いではなく、「禁じられたこと」である、とされる(イブン・ジュザイ1:487参照)。

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