पवित्र कुरअानको अर्थको अनुवाद - जापानी अनुवाद : सईद साटो ।

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44 : 25

أَمۡ تَحۡسَبُ أَنَّ أَكۡثَرَهُمۡ يَسۡمَعُونَ أَوۡ يَعۡقِلُونَۚ إِنۡ هُمۡ إِلَّا كَٱلۡأَنۡعَٰمِ بَلۡ هُمۡ أَضَلُّ سَبِيلًا

いや、あなたは、彼らの大半が(クルアーン*を熟慮して)聞いていると、あるいは分別していると思っているのか?彼らは家畜のようなものに外ならない。いや、彼らは(それら)より道に迷っているのだ。[1] info

[1] 高壁章179とその訳注も参照。

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45 : 25

أَلَمۡ تَرَ إِلَىٰ رَبِّكَ كَيۡفَ مَدَّ ٱلظِّلَّ وَلَوۡ شَآءَ لَجَعَلَهُۥ سَاكِنٗا ثُمَّ جَعَلۡنَا ٱلشَّمۡسَ عَلَيۡهِ دَلِيلٗا

一体あなたは、あなたの主*がいかに陰を引き伸ばされたかーーかれがお望みになれば、それを静止させ給うたであろうーーを、見ないのか?それからわれら*が、太陽をそれ(陰)に対する目印とされたのを?[1] info

[1] ここでの「陰」は、「完全なる明るさと完全なる闇との中間的状態」のこととされる(アッ=シャウカーニー4:106参照)。そして多くの解釈学者は、この「陰が引き伸ばされる」時間帯を、夜明けから日の出までの間だとしている。また、「太陽が陰の目印」というのは、太陽がなければ陰の存在も知られることがないため(イブン・カスィール6:113-114参照)。

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46 : 25

ثُمَّ قَبَضۡنَٰهُ إِلَيۡنَا قَبۡضٗا يَسِيرٗا

それから、われら*はそれ(陰)を、われら*自身の方へと少しずつ掴み寄せる。[1] info

[1] つまり、太陽が高く昇るにつれて、陰も短くなって行く(ムヤッサル364頁参照) 。

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47 : 25

وَهُوَ ٱلَّذِي جَعَلَ لَكُمُ ٱلَّيۡلَ لِبَاسٗا وَٱلنَّوۡمَ سُبَاتٗا وَجَعَلَ ٱلنَّهَارَ نُشُورٗا

かれ(アッラー*)は、あなた方のために夜を衣とし[1]、眠りを休息とし、昼を展開(する時間)[2]とされたお方。 info

[1] そこに包み込まれて落ち着くものとして、夜が衣服に譬えられている(アッ=サァディー584頁参照 )。 [2] 地上に散らばり、生活の糧を求めるための時間のこと(ムヤッサル364頁参照)。

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48 : 25

وَهُوَ ٱلَّذِيٓ أَرۡسَلَ ٱلرِّيَٰحَ بُشۡرَۢا بَيۡنَ يَدَيۡ رَحۡمَتِهِۦۚ وَأَنزَلۡنَا مِنَ ٱلسَّمَآءِ مَآءٗ طَهُورٗا

また、かれはそのご慈悲(雨)の前触れに吉報を告げる風を送ったお方。そしてわれら[1]は、天から清浄な雨を降らせた。 info

[1] 主語が「かれ」から「われら*」に転換していることについては、食卓章12「われら*」の訳注も参照。

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49 : 25

لِّنُحۡـِۧيَ بِهِۦ بَلۡدَةٗ مَّيۡتٗا وَنُسۡقِيَهُۥ مِمَّا خَلَقۡنَآ أَنۡعَٰمٗا وَأَنَاسِيَّ كَثِيرٗا

(それは、)われら*がそれによって死んだ土地を生き返し、われら*が創った家畜や沢山の人間にそれを飲ませるため。 info
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50 : 25

وَلَقَدۡ صَرَّفۡنَٰهُ بَيۡنَهُمۡ لِيَذَّكَّرُواْ فَأَبَىٰٓ أَكۡثَرُ ٱلنَّاسِ إِلَّا كُفُورٗا

われら*は確かに、あなた方が教訓を得るべく、あなた方の間にそれ(雨)を振り分けた[1]。そして大半の人々は、(われら*の恩恵に対する)否定以外を拒んだのである。 info

[1] この解釈には、「既に定められている量の雨を、各地に振り分けた」「雨を、様々な種類のものとして降らせた」「雨水による利益を多様なものとした」といった説がある。また、アーヤ*中の「それ」がクルアーン*(つまり、法規定や訓戒、譬えなどを多彩に示した、という意味)、あるいは風を指す、という説もある(アル=クルトゥビー13:57参照)。

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51 : 25

وَلَوۡ شِئۡنَا لَبَعَثۡنَا فِي كُلِّ قَرۡيَةٖ نَّذِيرٗا

また、もしわれら*が望めば、われら*は全ての町に警告者を遣わしたであろう。[1] info

[1] しかしアッラー*は、預言者*ムハンマド*を全人類へ遣わされ、彼らにクルアーン*を伝えることをご命じになった(ムヤッサル364頁参照)。

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52 : 25

فَلَا تُطِعِ ٱلۡكَٰفِرِينَ وَجَٰهِدۡهُم بِهِۦ جِهَادٗا كَبِيرٗا

ならば不信仰者*らには従わず、彼らとはそれ(クルアーン*)によって[1]大いに奮闘せよ。 info

[1] つまり、吉報や警告を含むクルアーン*のアーヤ*を伝達し、その明証によって論証することによって(アル=ビカーイー5:327参照)。

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53 : 25

۞ وَهُوَ ٱلَّذِي مَرَجَ ٱلۡبَحۡرَيۡنِ هَٰذَا عَذۡبٞ فُرَاتٞ وَهَٰذَا مِلۡحٌ أُجَاجٞ وَجَعَلَ بَيۡنَهُمَا بَرۡزَخٗا وَحِجۡرٗا مَّحۡجُورٗا

かれ(アッラー*)は、こちらは甘くて美味しく、こちらはしょっぱくて辛いという風に、二つの海を出会わされ、その二つの間に障壁を設けられ、完全に隔離されたお方。[1] info

[1] 「二つの海を出会わされ」ではなく、「二つの海を分けられ」という解釈もある(アル=クルトゥビー13:58参照)。慈悲あまねき*お方章19-20も参照。

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54 : 25

وَهُوَ ٱلَّذِي خَلَقَ مِنَ ٱلۡمَآءِ بَشَرٗا فَجَعَلَهُۥ نَسَبٗا وَصِهۡرٗاۗ وَكَانَ رَبُّكَ قَدِيرٗا

また、かれは水[1]から人間をお創りになり、それ[2]を血縁関係と婚戚関係(からなるもの)とされたお方。もとより、あなたの主*は全能者であられる。 info

[1] この「水」は、男女の精液のこととされる(ムヤッサル364頁参照)。 [2] この「それ」は、男女の子孫のこと(前掲書、同頁参照)。

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55 : 25

وَيَعۡبُدُونَ مِن دُونِ ٱللَّهِ مَا لَا يَنفَعُهُمۡ وَلَا يَضُرُّهُمۡۗ وَكَانَ ٱلۡكَافِرُ عَلَىٰ رَبِّهِۦ ظَهِيرٗا

彼ら(不信仰者*ら)はアッラー*をよそに、(それを崇拝*しても)自分たちを益もしなければ(、崇拝*しなくても)自分たちを害もしないものを崇めている。不信仰者*はそもそも、その主*に対する(シャイターン*の)援助者[1]なのである。 info

[1] シルク*と罪において、シャイターン*を援助する者(前掲書、同頁参照)。

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