[1] 一説にこのアーヤ*は、ユダヤ教徒*やキリスト教徒*がムスリム*に対して、「我々はあなた方よりも優れている。我々の宗教と啓典と預言者*は、あなた方のものに先立っているからである」と言い、かたやムスリム*が「我々の啓典と預言者*はあなた方のそれよりも後に下されたのであり、あなた方は我々に従うように命じられている。ゆえに我々の方が優れているのだ」と言ったことに関して、下されたと言われる。つまり救済とは単なる願望や思い込みではなく、アッラー*に従い、使徒*たちによって伝えられたかれの教えを実践することによって達成される(イブン・カスィール2:417参照)。
[1] 「善を尽くす者でありつつ、アッラー*のみに顔を向けて服従」することに関しては、雌牛章112の訳注を参照。 [2] ここでの「純正」の意味に関しては、雌牛章135の訳注を参照。
[1] イブン・アティーヤ*によれば、「女の孤児」に関して下ったクルアーン*は本章のアーヤ*3(アル=ブハーリー4574も参照)であり、また「子供らの内でも、か弱い者たち」に関して下ったのは、女性や子供に対する遺産相続の権利を定めた本章アーヤ*11、「孤児を公正に待遇」することに関して下ったのは、本章のアーヤ*2である、という(2:118参照)。 [2] 遺産や、正当な額の婚資金*を始めとした諸権利のこと(ムヤッサル98頁参照)。 [3] 当時のアラブ社会では、(自分が結婚できる関係にある)女の孤児の後継人は、不正*を働くことがあった。自分自身が彼女と結婚したくない場合、それは彼女の財産に不当に手をつけたり、その財産を自分が利用したいがために彼女を結婚から阻んだり、結婚させても彼女の婚資金*を不当に奪ったりすることだった。また、彼女が美貌や財産を有していた場合、自らが結婚を望んでも、非常に少ない婚資金*しか与えなかったりすることもあった(アーヤ*3も参照)。尚、「結婚させようともしない」というアラビア語の表現は「結婚したがっている」という解釈も可能(アッ=サァディー206頁参照)。