クルアーンの対訳 - 日亜対訳(日本語) - サイード佐藤

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133 : 3

۞ وَسَارِعُوٓاْ إِلَىٰ مَغۡفِرَةٖ مِّن رَّبِّكُمۡ وَجَنَّةٍ عَرۡضُهَا ٱلسَّمَٰوَٰتُ وَٱلۡأَرۡضُ أُعِدَّتۡ لِلۡمُتَّقِينَ

そして、あなた方の主*からのお赦しと天国(の獲得)に、奔走するがよい。(天国の)その広さは諸天と大地ほどもあり、敬虔な*者たちのために用意されている。 info
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134 : 3

ٱلَّذِينَ يُنفِقُونَ فِي ٱلسَّرَّآءِ وَٱلضَّرَّآءِ وَٱلۡكَٰظِمِينَ ٱلۡغَيۡظَ وَٱلۡعَافِينَ عَنِ ٱلنَّاسِۗ وَٱللَّهُ يُحِبُّ ٱلۡمُحۡسِنِينَ

(彼ら敬虔な*者たちとは、)順境においても災難の中であっても施し、憤りを抑え[1]、人々を大目に見てやる者たち。アッラー*は善を尽くす者[2]たちを、お好みになる。 info

[1] 「憤り」と訳した原語「ガイズ」は、ただの怒りではなく、頭に血が昇る激しい憤りのこと(アッ=ラーギブ371)。相談章37とその訳注も参照。 [2] 「善を尽くす者」については、蜜蜂章128の訳注を参照。

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135 : 3

وَٱلَّذِينَ إِذَا فَعَلُواْ فَٰحِشَةً أَوۡ ظَلَمُوٓاْ أَنفُسَهُمۡ ذَكَرُواْ ٱللَّهَ فَٱسۡتَغۡفَرُواْ لِذُنُوبِهِمۡ وَمَن يَغۡفِرُ ٱلذُّنُوبَ إِلَّا ٱللَّهُ وَلَمۡ يُصِرُّواْ عَلَىٰ مَا فَعَلُواْ وَهُمۡ يَعۡلَمُونَ

また、醜行[1]をしたり、(罪を犯すことで)自らに対して不正*をしたりした時にはアッラー*を思い出し、その罪の赦しを乞う者たち。——アッラー*の外に、誰が罪を赦すことが出来ようか?——そして彼らは、(アッラー*に悔悟すれば、それを受け入れられることを)知った上で、自分のした(悪い)ことに固執し続けることがない。 info

[1] 「醜行」については、蜜蜂章90の訳注を参照。

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136 : 3

أُوْلَٰٓئِكَ جَزَآؤُهُم مَّغۡفِرَةٞ مِّن رَّبِّهِمۡ وَجَنَّٰتٞ تَجۡرِي مِن تَحۡتِهَا ٱلۡأَنۡهَٰرُ خَٰلِدِينَ فِيهَاۚ وَنِعۡمَ أَجۡرُ ٱلۡعَٰمِلِينَ

それらの者たち、その褒美は、彼らの主からのお赦しと、その下から河川が流れる楽園。彼らはそこに永住する。(アッラー*のために、善行に)励む者への褒美は、何と素晴らしいものか。 info
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137 : 3

قَدۡ خَلَتۡ مِن قَبۡلِكُمۡ سُنَنٞ فَسِيرُواْ فِي ٱلۡأَرۡضِ فَٱنظُرُواْ كَيۡفَ كَانَ عَٰقِبَةُ ٱلۡمُكَذِّبِينَ

あなた方以前にも既に、(信仰者が不信仰者*との闘いという試練に遭い、最後には勝利するという)アッラー*の摂理が過ぎ去ってきた。ならば、あなた方は地上を旅して、(アッラー*と使徒*を)嘘呼ばわりした者たちの結末がどのようなものであったか、見てみるがよい。 info
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138 : 3

هَٰذَا بَيَانٞ لِّلنَّاسِ وَهُدٗى وَمَوۡعِظَةٞ لِّلۡمُتَّقِينَ

これ(クルアーン*)は人々への明示であり、敬虔な*者たちへの導きと訓戒である。 info
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139 : 3

وَلَا تَهِنُواْ وَلَا تَحۡزَنُواْ وَأَنتُمُ ٱلۡأَعۡلَوۡنَ إِن كُنتُم مُّؤۡمِنِينَ

(信仰者たちよ、ウフドの戦い*での被害ゆえに、)あなた方は衰弱したり、悲しんだりしてはならない。あなた方は勝利者なのである。もし、あなた方が信仰者であるのなら。 info
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140 : 3

إِن يَمۡسَسۡكُمۡ قَرۡحٞ فَقَدۡ مَسَّ ٱلۡقَوۡمَ قَرۡحٞ مِّثۡلُهُۥۚ وَتِلۡكَ ٱلۡأَيَّامُ نُدَاوِلُهَا بَيۡنَ ٱلنَّاسِ وَلِيَعۡلَمَ ٱللَّهُ ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ وَيَتَّخِذَ مِنكُمۡ شُهَدَآءَۗ وَٱللَّهُ لَا يُحِبُّ ٱلظَّٰلِمِينَ

(信仰者たちよ、)たとえあなた方が痛手を負ったとしても、かの民[1]も確かに、(かつてのバドルの戦い*で)同様の痛手を負ったのである[2]。われら*はそれらの日々を、人々の間に交互に配分するのだ[3]。また、(それは)アッラー*が信仰する者たちを如実に表され、あなた方の内から殉教者をお選びになるためである——アッラー*は、不正*者をお好みにはならない——。 info

[1] 「かの民」とは、マッカ*の不信仰者*たちのこと(ムヤッサル67頁参照)。 [2] バドル・ウフド両方の戦いにおける両軍の被害に関しては、アーヤ*165とその訳注を参照。 [3] 「それらの日々」とは、戦争の勝ち負けのこと。具体的に、バドルの戦い*ではムスリム*側が勝利したが、続くウフドの戦い*においてはマッカ*軍が形勢を逆転させた(アッ=タバリー3:1982‐1984参照)。

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