Traduction des sens du Noble Coran - La traduction japonaise - Saïd Sato

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54 : 18

وَلَقَدۡ صَرَّفۡنَا فِي هَٰذَا ٱلۡقُرۡءَانِ لِلنَّاسِ مِن كُلِّ مَثَلٖۚ وَكَانَ ٱلۡإِنسَٰنُ أَكۡثَرَ شَيۡءٖ جَدَلٗا

われら*は確かに、このクルアーン*の中であらゆる譬えを、人々に対して多彩に示した。そして人間はもとより、最も議論ばかりしている生きものである。 info
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55 : 18

وَمَا مَنَعَ ٱلنَّاسَ أَن يُؤۡمِنُوٓاْ إِذۡ جَآءَهُمُ ٱلۡهُدَىٰ وَيَسۡتَغۡفِرُواْ رَبَّهُمۡ إِلَّآ أَن تَأۡتِيَهُمۡ سُنَّةُ ٱلۡأَوَّلِينَ أَوۡ يَأۡتِيَهُمُ ٱلۡعَذَابُ قُبُلٗا

人々に導き[1]が到来した時、信仰し、自分たちの主*にお赦しを乞うことから阻んだのは、昔の人々(に対するアッラー*)の摂理[2]が自分たちに訪れること、または懲罰が彼らの眼前に訪れる(のを、彼らが自ら要求した)こと以外の何ものでもなかった。[3] info

[1] この「導き」とは、クルアーン*と共に到来した預言者*ムハンマド*のこと(ムヤッサル300頁参照)。 [2] 「昔の人々の摂理」に関しては、戦利品*章38の同語についての訳注を参照。 [3] 不信仰者*というものは過去でも現在でも、明らかな証拠を眼前にしながらも真理を否定するものであり、自分たちが警告されている懲罰を実際に見せてみよと要求することで、真理への服従から阻まれてしまうものである。戦利品*章32、アル=ヒジュル章6-7、詩人たち章187、蜘蛛章29なども参照(イブン・カスィール5:172参照)。

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56 : 18

وَمَا نُرۡسِلُ ٱلۡمُرۡسَلِينَ إِلَّا مُبَشِّرِينَ وَمُنذِرِينَۚ وَيُجَٰدِلُ ٱلَّذِينَ كَفَرُواْ بِٱلۡبَٰطِلِ لِيُدۡحِضُواْ بِهِ ٱلۡحَقَّۖ وَٱتَّخَذُوٓاْ ءَايَٰتِي وَمَآ أُنذِرُواْ هُزُوٗا

そして、われら*が使徒*たちを遣わすのは、吉報を伝え、警告を告げる者[1]としてに外ならない。けれども、不信仰に陥った者*たちは真理を消し去るべく、虚妄によって議論する[2]。わが御徴[3]と、彼らが警告されたもの(懲罰)を嘲笑の的としつつ。 info

[1] この「吉報」と「警告」については、雌牛章119の訳注を参照。 [2] これは夜の旅章94、金の装飾章31にあるような議論のこととされる(アル=バガウィー3:201参照)。 [3] この「御徴」は、使徒*がもたらした明白な証拠と、奇跡のこと(イブン・カスィール5:172参照)。

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57 : 18

وَمَنۡ أَظۡلَمُ مِمَّن ذُكِّرَ بِـَٔايَٰتِ رَبِّهِۦ فَأَعۡرَضَ عَنۡهَا وَنَسِيَ مَا قَدَّمَتۡ يَدَاهُۚ إِنَّا جَعَلۡنَا عَلَىٰ قُلُوبِهِمۡ أَكِنَّةً أَن يَفۡقَهُوهُ وَفِيٓ ءَاذَانِهِمۡ وَقۡرٗاۖ وَإِن تَدۡعُهُمۡ إِلَى ٱلۡهُدَىٰ فَلَن يَهۡتَدُوٓاْ إِذًا أَبَدٗا

自分の主*の御徴によって戒められてから、それに背を向け、自分の手が行った(醜悪な)物事を忘れてしま(い、悔悟しなか)った者よりも、ひどい不正*を働く者があろうか?本当にわれら*は、彼らがそれ(クルアーン*)を理解できないように、彼らの心には覆いを、その耳には重しをかけたのだ[1]。たとえあなたが彼らを導きへと招いても、それでも彼らは永遠に導かれまい[2] info

[1] 「耳に重しをかける」については、家畜章25を参照。また、雌牛章7の訳注も参照。 [2] これは彼らの内、信仰することがないとアッラー*がご存知である民のこと(アル=バガウィー3:201参照)。

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58 : 18

وَرَبُّكَ ٱلۡغَفُورُ ذُو ٱلرَّحۡمَةِۖ لَوۡ يُؤَاخِذُهُم بِمَا كَسَبُواْ لَعَجَّلَ لَهُمُ ٱلۡعَذَابَۚ بَل لَّهُم مَّوۡعِدٞ لَّن يَجِدُواْ مِن دُونِهِۦ مَوۡئِلٗا

あなたの主*は、赦し深いお方、慈悲の主。もしかれが、彼らが稼いだもの(罪)ゆえに彼らをお咎めになれば、彼らに対する懲罰をお急ぎになったであろう。(だが、アッラー*は懲罰をお急ぎにはならない、)いや、彼らには、彼らがそこから逃げ場を見出すことがない、(決められた)約束[1]があるのだ。 info

[1] この「約束」には、「死」「来世での懲罰」「バドルの戦い*」といった解釈がある(イブン・ジュザイ1:513参照)。

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59 : 18

وَتِلۡكَ ٱلۡقُرَىٰٓ أَهۡلَكۡنَٰهُمۡ لَمَّا ظَلَمُواْ وَجَعَلۡنَا لِمَهۡلِكِهِم مَّوۡعِدٗا

また、それらの町々(の人々[1])は、(不信仰という)不正*を働いた時、われら*が滅ぼした。そしてわれら*は彼らの滅亡に、約束の期限を定めておいたのである。 info

[1] アード*、サムード*、ルート*の民、シュアイブ*の民などを指す(ムヤッサル300頁参照)。

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60 : 18

وَإِذۡ قَالَ مُوسَىٰ لِفَتَىٰهُ لَآ أَبۡرَحُ حَتَّىٰٓ أَبۡلُغَ مَجۡمَعَ ٱلۡبَحۡرَيۡنِ أَوۡ أَمۡضِيَ حُقُبٗا

ムーサー*がその従者[1]に、(こう)言った時のこと(を思い起こさせよ)。「私は二つの海が交わる場所に着くまで、あるいは長時間歩み続けるまでは、(旅を)やめない」。[2] info

[1] この従者の名は、ユーシャウ・ブン・ヌーン(アル=ブハーリー122参照)。 [2] ある時ムーサー*は「あなたより有識な者はいますか?」と人に尋ねられ、「いない」と答えた。だがアッラー*から、「二つの海が交わる場所」にいる「ハディル」はもっと有識であり、(食事用の)魚をかごに入れて持って旅したならば、それを失くした時に、彼に会うことが出来る旨を啓示され、ムーサー*は彼を探す旅を始める(アル=ブハーリー122参照)。尚、ハディルは全てにおいてムーサー*よりも有識なのではなく、ある出来事についての詳細な規定や、特定の事件に潜(ひそ)む英知において、彼よりも有識だったのだとされる(アル=クルトゥビー11:10参照)。

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61 : 18

فَلَمَّا بَلَغَا مَجۡمَعَ بَيۡنِهِمَا نَسِيَا حُوتَهُمَا فَٱتَّخَذَ سَبِيلَهُۥ فِي ٱلۡبَحۡرِ سَرَبٗا

それで二つ(の海)が交わる場所に到着し(、岩に腰を下ろし)た時、彼ら二人は自分たちの(食事として携えてきた)魚を忘れてしまった。そしてそれ(魚)は、(生き返って海に潜って行き、)海中の、トンネルの道を進んで行った。[1] info

[1] 一説に、二人は岩の上で眠ったが、そこには「生命の泉」があり、塩漬けだった魚はそれに触れて生き返り、海に飛び込んだのだという。魚の周囲の水はアーチ状になり、泳いで行った道はその後も水で塞(ふさ)がれなかった。従者は目覚めてそれに気付いたが、そのことをムーサー*に告げるのを忘れてしまった。(イブン・カスィール5:174-175参照)。尚、魚のことを忘れたのは従者だが、「魚を旅の荷物として共有していた」ことから、「忘れた」の主語が二人に帰されている(アッ=タバリー7:5380参照)。

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