[1] バドルの戦い*に参加出来なかった教友*たちの多くは、また戦いの機会が訪れることを望んでいた。このアーヤ*は彼ら、そして特にマディーナ*郊外へと戦いに出ることを強く主張した者たち(頻出名・用語解説「ウフドの戦い*」参照)に対する、お叱(しか)りである(アル=クルトゥビー4:220‐221参照)。
[1] 不信仰へと戻るのか、の意(ムヤッサル68頁参照)。このアーヤ*は、ムスリム*軍がウフドの戦い*で劣勢(れっせい)になった時、「ムハンマド*は戦死した」という噂(うわさ)が流れ、ムスリム*たちの士気が下がり、尻込みし始めた折に下ったとされる(イブン・カスィール2:128参照)。
[1] ただし、前者は現世での報いや必要の一部を満たされるだけで、来世での褒美ではない。一方後者は、現世での必要を満たされる上に、来世での褒美も授かることになる(アッ=タバリー3:1995参照)。
[1] 「信徒(リッビーユ)」とは、預言者*たちが信仰と正しい行い*のもとに育てあげた、彼らの追従(ついじゅう)者たちのこと(アッ=サァディー151頁参照)。 [2] 怪我(けが)の死のこと(ムヤッサル68参照)。
[1] ここでの「罪」は小さい罪で、「行き過ぎ」は大罪*である、と言われる(アッ=タバリー3:2000参照)。