Traducción de los significados del Sagrado Corán - Traducción japonesa- Said Satu

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141 : 3

وَلِيُمَحِّصَ ٱللَّهُ ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ وَيَمۡحَقَ ٱلۡكَٰفِرِينَ

また(それは)、アッラー*が信仰する者たちを浄化[1]され、不信仰者*たちを根絶やしにされるためなのである。 info

[1] 罪や汚点から「浄化」され、偽信者*から判別・精選されること(アッ=サァディー150頁参照)。

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142 : 3

أَمۡ حَسِبۡتُمۡ أَن تَدۡخُلُواْ ٱلۡجَنَّةَ وَلَمَّا يَعۡلَمِ ٱللَّهُ ٱلَّذِينَ جَٰهَدُواْ مِنكُمۡ وَيَعۡلَمَ ٱلصَّٰبِرِينَ

いや、(教友*たちよ、)あなた方は、アッラー*があなた方の内の努力奮闘する者たちを如実に表されず、忍耐*ある者たちを露わにされてもいないというのに、天国に入れるとでも思い込んでいたのか? info
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143 : 3

وَلَقَدۡ كُنتُمۡ تَمَنَّوۡنَ ٱلۡمَوۡتَ مِن قَبۡلِ أَن تَلۡقَوۡهُ فَقَدۡ رَأَيۡتُمُوهُ وَأَنتُمۡ تَنظُرُونَ

また(信仰者たちよ)、あなた方は、確かに(ウフドの戦い*以前には、殉教による)死を望んでいたのだ。それ(死)に直面する前には。そして確かに、あなた方はそれをまざまざと、目の当たりにした。[1] info

[1] バドルの戦い*に参加出来なかった教友*たちの多くは、また戦いの機会が訪れることを望んでいた。このアーヤ*は彼ら、そして特にマディーナ*郊外へと戦いに出ることを強く主張した者たち(頻出名・用語解説「ウフドの戦い*」参照)に対する、お叱(しか)りである(アル=クルトゥビー4:220‐221参照)。

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144 : 3

وَمَا مُحَمَّدٌ إِلَّا رَسُولٞ قَدۡ خَلَتۡ مِن قَبۡلِهِ ٱلرُّسُلُۚ أَفَإِيْن مَّاتَ أَوۡ قُتِلَ ٱنقَلَبۡتُمۡ عَلَىٰٓ أَعۡقَٰبِكُمۡۚ وَمَن يَنقَلِبۡ عَلَىٰ عَقِبَيۡهِ فَلَن يَضُرَّ ٱللَّهَ شَيۡـٔٗاۚ وَسَيَجۡزِي ٱللَّهُ ٱلشَّٰكِرِينَ

ムハンマド*は、一人の使徒*に過ぎない。彼以前にも、使徒*たちが滅び去っていったのである。それでもし彼が死んだり、殺されたりしたら、あなた方は踵を返すのか[1]?踵を返す者があっても、その者が少しもアッラー*を害することはない。アッラー*は(その恩恵に)感謝する者たちに、(善く)お報いになる。 info

[1] 不信仰へと戻るのか、の意(ムヤッサル68頁参照)。このアーヤ*は、ムスリム*軍がウフドの戦い*で劣勢(れっせい)になった時、「ムハンマド*は戦死した」という噂(うわさ)が流れ、ムスリム*たちの士気が下がり、尻込みし始めた折に下ったとされる(イブン・カスィール2:128参照)。

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145 : 3

وَمَا كَانَ لِنَفۡسٍ أَن تَمُوتَ إِلَّا بِإِذۡنِ ٱللَّهِ كِتَٰبٗا مُّؤَجَّلٗاۗ وَمَن يُرِدۡ ثَوَابَ ٱلدُّنۡيَا نُؤۡتِهِۦ مِنۡهَا وَمَن يُرِدۡ ثَوَابَ ٱلۡأٓخِرَةِ نُؤۡتِهِۦ مِنۡهَاۚ وَسَنَجۡزِي ٱلشَّٰكِرِينَ

また、定められた期限というアッラー*のお許しなくしては、誰も死ぬことがない。そして誰でも現世の褒美を望む者には、われらがそこ(現世の褒美)から与えよう。また、誰でも来世の褒美を望む者には、われら*がそこ(来世の褒美)から与えよう[1]。われら*は感謝する者たちに、(よく)報いるのだ。 info

[1] ただし、前者は現世での報いや必要の一部を満たされるだけで、来世での褒美ではない。一方後者は、現世での必要を満たされる上に、来世での褒美も授かることになる(アッ=タバリー3:1995参照)。

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146 : 3

وَكَأَيِّن مِّن نَّبِيّٖ قَٰتَلَ مَعَهُۥ رِبِّيُّونَ كَثِيرٞ فَمَا وَهَنُواْ لِمَآ أَصَابَهُمۡ فِي سَبِيلِ ٱللَّهِ وَمَا ضَعُفُواْ وَمَا ٱسۡتَكَانُواْۗ وَٱللَّهُ يُحِبُّ ٱلصَّٰبِرِينَ

どれだけ多くの預言者*と共に、数多くの使徒[1]が戦ったことであろう。そして彼らは、アッラー*の道において自分たちに降りかかったもの[2]ゆえに衰弱したり、弱体化したり、(敵に対して)屈したりもしなかった。アッラー*は、忍耐*ある者たちをお好みになる。 info

[1] 「信徒(リッビーユ)」とは、預言者*たちが信仰と正しい行い*のもとに育てあげた、彼らの追従(ついじゅう)者たちのこと(アッ=サァディー151頁参照)。 [2] 怪我(けが)の死のこと(ムヤッサル68参照)。

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147 : 3

وَمَا كَانَ قَوۡلَهُمۡ إِلَّآ أَن قَالُواْ رَبَّنَا ٱغۡفِرۡ لَنَا ذُنُوبَنَا وَإِسۡرَافَنَا فِيٓ أَمۡرِنَا وَثَبِّتۡ أَقۡدَامَنَا وَٱنصُرۡنَا عَلَى ٱلۡقَوۡمِ ٱلۡكَٰفِرِينَ

そして彼ら(忍耐*ある者たち)の言葉は、(こう)言うものでしかなかった。「我らが主*よ、私たちの罪と、自分たちの(宗教上の)事における私たちの行き過ぎ[1]を、お赦し下さい、そして私たちの足を堅固にし、不信仰者*の民に対して勝利をお授け下さい」。 info

[1] ここでの「罪」は小さい罪で、「行き過ぎ」は大罪*である、と言われる(アッ=タバリー3:2000参照)。

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148 : 3

فَـَٔاتَىٰهُمُ ٱللَّهُ ثَوَابَ ٱلدُّنۡيَا وَحُسۡنَ ثَوَابِ ٱلۡأٓخِرَةِۗ وَٱللَّهُ يُحِبُّ ٱلۡمُحۡسِنِينَ

こうしてアッラー*は、彼らに現世の褒美と、来世の素晴らしい褒美[1]を授けられた。アッラー*は、善を尽くす者[2]たちをお好みになる。 info

[1]前者の「褒美」は敵に対する勝利や地上での確立で、後者は天国であると言われる(ムヤッサル68頁参照)。
[2]「善を尽くす者」については、蜜蜂章128の訳注を参照。

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