Übersetzung der Bedeutungen von dem heiligen Quran - Die japanische Übersetzung - Said Sato.

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49 : 18

وَوُضِعَ ٱلۡكِتَٰبُ فَتَرَى ٱلۡمُجۡرِمِينَ مُشۡفِقِينَ مِمَّا فِيهِ وَيَقُولُونَ يَٰوَيۡلَتَنَا مَالِ هَٰذَا ٱلۡكِتَٰبِ لَا يُغَادِرُ صَغِيرَةٗ وَلَا كَبِيرَةً إِلَّآ أَحۡصَىٰهَاۚ وَوَجَدُواْ مَا عَمِلُواْ حَاضِرٗاۗ وَلَا يَظۡلِمُ رَبُّكَ أَحَدٗا

そして、(現世での行いの)帳簿が(各人の右手、あるいは左手に)置かれ[1]、あなたは罪悪者たちが、そこにあるもの[2]ゆえに怯えて、(こう)言うのを見る。「ああ、我らが災いよ![3](罪の内、)小さいことも大きいことも(記録して)数え上げずにはおかない、この帳簿は一体どういうことなのか!?」彼らは、自分たちが(現世で)行ったことをありありと目にする。あなたの主*は誰にも、不正*を働いたりはしないのだ。[4] info

[1] 復活の日*に帳簿が渡されることの意味については、高壁章8の訳注を参照。帳簿が渡される時の様子については、夜の旅章13-14、71、真実章19-29、割れる章7以降などを参照。 [2] 帳簿に記された、彼らが現世で行った悪行のこと(アッ=タバリー7:5363参照)。 [3] この表現については、食卓章31「我が災いよ!」の訳注を参照。 [4] 同様の意味のアーヤ*として、婦人章40、高壁章8とその訳注、預言者*たち章47、ルクマーン章16、地震章7-8なども参照。

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