Prijevod značenja časnog Kur'ana - Prijevod na japanski jezik - Seid Satu

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49 : 34

قُلۡ جَآءَ ٱلۡحَقُّ وَمَا يُبۡدِئُ ٱلۡبَٰطِلُ وَمَا يُعِيدُ

言え。「真理は到来した。そして虚妄は(滅び、もはや)出現することも。回帰することもない」。[1] info

[1] つまり虚妄は跡形もなく消え去り、進退も開始も再開もままならない状況になった。あるいは「虚妄」とはシャイターン*のことで、それは何を創造することも出来なければ、何かを蘇(よみがえ)らせることも出来ない(アッ=シャウカーニー4:441参照)。

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50 : 34

قُلۡ إِن ضَلَلۡتُ فَإِنَّمَآ أَضِلُّ عَلَىٰ نَفۡسِيۖ وَإِنِ ٱهۡتَدَيۡتُ فَبِمَا يُوحِيٓ إِلَيَّ رَبِّيٓۚ إِنَّهُۥ سَمِيعٞ قَرِيبٞ

言ってやれ。「もし私が(真理から)迷ったのなら、私は自分自身に対して(罪を負うべく)迷っているのである。そしてもし(正しく)導かれたのなら、(それは)我が主*が私に啓示されたものゆえのこと。本当にかれはよくお聞きなるお方、(かれを呼ぶ者の)近くにおられるお方」。 info
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51 : 34

وَلَوۡ تَرَىٰٓ إِذۡ فَزِعُواْ فَلَا فَوۡتَ وَأُخِذُواْ مِن مَّكَانٖ قَرِيبٖ

(使徒*よ、)彼ら(不信仰者*たち)が戦慄する時のことを、目にしたならば。彼らに逃げ道はなく、近い場所から連れて行かれるのだ[1] info

[1] このアーヤ*の解釈には、「(死が訪れ、)地表から地下へと移される時のこと」「復活の日*の清算の場から、地獄へと落とされる時のこと」「かつては強力だったのが、戦場において容易(たやす)く負かされる時のこと」といった諸説がある(アル=カースィミー14:4968参照)。

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52 : 34

وَقَالُوٓاْ ءَامَنَّا بِهِۦ وَأَنَّىٰ لَهُمُ ٱلتَّنَاوُشُ مِن مَّكَانِۭ بَعِيدٖ

そして彼らは(、その時になって)言う。「私たちはそれ[1]を信じた」。どうして遠い場所から、易々と(信仰を)手に入れられるというのか?[2] info

[1] この「それ」は、アッラー*、啓典、使徒*のこと(ムヤッサル434頁参照)。 [2] 既に現世から遮(さえぎ)られ、そこが「遠い場所」となってしまった後では、信仰を手にすることは出来ない(前掲書、同頁参照)。家畜章158とその訳注も参照。

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53 : 34

وَقَدۡ كَفَرُواْ بِهِۦ مِن قَبۡلُۖ وَيَقۡذِفُونَ بِٱلۡغَيۡبِ مِن مَّكَانِۭ بَعِيدٖ

彼らは確かに以前、それを否定し、不可視の世界*について(真理から)遠い場所から(虚妄に満ちた)憶測をしていたというのに。 info
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54 : 34

وَحِيلَ بَيۡنَهُمۡ وَبَيۡنَ مَا يَشۡتَهُونَ كَمَا فُعِلَ بِأَشۡيَاعِهِم مِّن قَبۡلُۚ إِنَّهُمۡ كَانُواْ فِي شَكّٖ مُّرِيبِۭ

そして彼らと、彼らが渇望するもの[1]との間は阻まれた。ちょうど彼らの(先代である)同類者たちが、以前(そう)されたように。本当に彼らは(現世で)、大きな疑惑の中にあった[2]のである。 info

[1] 「渇望すること」とは、現世に戻って信仰すること(ムヤッサル434頁参照)。 [2] つまり、使徒*、復活、清算について疑念の中にあった(前掲書、同頁参照)。

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