আল-কোৰআনুল কাৰীমৰ অৰ্থানুবাদ - জাপানিজ অনুবাদ- ছাঈদ ছাতো

トルアアラーフ

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1 : 7

الٓمٓصٓ

アリフ・ラーム・ミーム・サード[1] info

[1] これらの文字については頻出名・用語解説の「クルアーンの冒頭に現れる文字群*」を参照。

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2 : 7

كِتَٰبٌ أُنزِلَ إِلَيۡكَ فَلَا يَكُن فِي صَدۡرِكَ حَرَجٞ مِّنۡهُ لِتُنذِرَ بِهِۦ وَذِكۡرَىٰ لِلۡمُؤۡمِنِينَ

(使徒*よ、このクルアーン*は、)あなたに下された啓典。ならば、それで警告を告げ、信仰者たちへの教訓とするにあたって、あなたの胸の内にいかなる煩悶[1]があってもならない。 info

[1] 啓示に疑念を抱くことなく、それでもって人々にアッラー*の御言葉を伝達するという偉大な義務を果たすこと、及びその過程で遭遇する様々な苦難において、挫(くじ)けたりしてはならない、ということ(アッ=タバリー5:3435-3436参照)。

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3 : 7

ٱتَّبِعُواْ مَآ أُنزِلَ إِلَيۡكُم مِّن رَّبِّكُمۡ وَلَا تَتَّبِعُواْ مِن دُونِهِۦٓ أَوۡلِيَآءَۗ قَلِيلٗا مَّا تَذَكَّرُونَ

(人々よ、)あなた方の主*から、あなた方に下されたものに従うのだ。そして、かれをよそにして盟友たちに従うのではない[1]。あなた方が教訓を得ることの、少ないことよ。 info

[1] つまり人間であれジン*であれ、アッラー*以外の何かを自分の盟友とし、偶像(ぐうぞう)崇拝や私欲や宗教における改変に走ってはならない、ということ(アル=カースィミー7:2610参照)。

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4 : 7

وَكَم مِّن قَرۡيَةٍ أَهۡلَكۡنَٰهَا فَجَآءَهَا بَأۡسُنَا بَيَٰتًا أَوۡ هُمۡ قَآئِلُونَ

一体われら*は、どれだけ多くの(不信仰者*の)町を滅ぼしてきたことか。そしてわれら*の猛威[1]は(夜)眠っている時でも、あるいは彼らが昼寝している間でも、彼らのもとに到来したのだ。 info

[1] この「猛威」とは、懲罰のこと(ムヤッサル151頁参照)。

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5 : 7

فَمَا كَانَ دَعۡوَىٰهُمۡ إِذۡ جَآءَهُم بَأۡسُنَآ إِلَّآ أَن قَالُوٓاْ إِنَّا كُنَّا ظَٰلِمِينَ

それでわれら*の猛威が彼らのもとに到来した時、彼らの言い分は、「本当に私たちは、不正*者でした」と言うだけのものだった。 info
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6 : 7

فَلَنَسۡـَٔلَنَّ ٱلَّذِينَ أُرۡسِلَ إِلَيۡهِمۡ وَلَنَسۡـَٔلَنَّ ٱلۡمُرۡسَلِينَ

われら*は必ずや、(使徒*らが)遣わされた者たちに尋ねよう。また必ずや、使徒*たちにも尋ねよう[1] info

[1] 使徒*が遣わされた人々には、彼らが自分たちの使徒*に、いかなる返答をしたかをお尋ねになる。また使徒*たちには、彼らがアッラー*の教えの伝達を果たし、そして人々がそれに対してどのような返答をしたかを、お尋ねになる(前掲書、同頁参照)。アーヤ*8、食卓章109の訳注も参照。

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7 : 7

فَلَنَقُصَّنَّ عَلَيۡهِم بِعِلۡمٖۖ وَمَا كُنَّا غَآئِبِينَ

それから必ずや知識を持って、(彼らが現世で行ったことについて、)彼らに語り聞かせよう。そして、われらはもとより(彼らに対する)不在者であったわけではない[1] info

[1] かれは全てをご覧(らん)になるお方であり、かれから隠れられるものは何もない(イブン・カスィール3:389参照)。

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8 : 7

وَٱلۡوَزۡنُ يَوۡمَئِذٍ ٱلۡحَقُّۚ فَمَن ثَقُلَتۡ مَوَٰزِينُهُۥ فَأُوْلَٰٓئِكَ هُمُ ٱلۡمُفۡلِحُونَ

(復活の)その日*、(行いの)重みは真実である。誰でも、自分の(善行の)秤が重かった者、それらの者たちこそは成功者である[1] info

[1] そもそもアッラー*は人々の行いを含め、全ての出来事について、それが存在する前からご存知であり、それが存在した後にお忘れになることもない。アッラー*は「守られし碑板*」も「現世での行いの帳簿」も、そもそも必要とはされないが、ただそれは創造物に対して議論の余地がなくなるようにするためなのである。アッラー*が復活の日*にあえて秤を提示されるのも同様で、それは天国の徒であれ、地獄の徒であれ、創造物に対する証明とするためのものに過ぎない(アッ=タバリー5:3445参照)。

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9 : 7

وَمَنۡ خَفَّتۡ مَوَٰزِينُهُۥ فَأُوْلَٰٓئِكَ ٱلَّذِينَ خَسِرُوٓاْ أَنفُسَهُم بِمَا كَانُواْ بِـَٔايَٰتِنَا يَظۡلِمُونَ

そして誰でも、その(善行の)秤が軽かった者、それらの者たちは、われら*の御徴に不正*を働いた[1]ゆえに、自らを損ねた者たちである。 info

[1] つまりアッラー*の御徴の否定と、それに対する不服従において、度を越していたということ(ムヤッサル151頁参照)。

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10 : 7

وَلَقَدۡ مَكَّنَّٰكُمۡ فِي ٱلۡأَرۡضِ وَجَعَلۡنَا لَكُمۡ فِيهَا مَعَٰيِشَۗ قَلِيلٗا مَّا تَشۡكُرُونَ

(人々よ、)われら*は確かに、あなた方に地上で力を授け、そこにあなた方のための生活の糧を設えた。あなた方が感謝することの、少ないことよ。 info
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11 : 7

وَلَقَدۡ خَلَقۡنَٰكُمۡ ثُمَّ صَوَّرۡنَٰكُمۡ ثُمَّ قُلۡنَا لِلۡمَلَٰٓئِكَةِ ٱسۡجُدُواْ لِأٓدَمَ فَسَجَدُوٓاْ إِلَّآ إِبۡلِيسَ لَمۡ يَكُن مِّنَ ٱلسَّٰجِدِينَ

また、われら*は確かにあなた方(の父祖アーダム*)を創造し、それから形作り、それから天使*たちに(こう)言った。「アーダム*にサジダ*[1]せよ」。すると、彼らは(全員)サジダ*した。但しイブリース*は別で、彼はサジダ*する者たちの一人ではなかった。[2] info

[1] ここでの「サジダ*」に関しては、雌牛章34の訳注を参照。 [2] この出来事の詳細に関しては、雌牛章34-39、アル=ヒジュル章28-42、夜の旅章61-65、ター・ハー章116-123、サード章71-83も参照。

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