పవిత్ర ఖురాన్ యొక్క భావార్థాల అనువాదం - జపనీసు అనువాదం - సయీద్ సాతూ

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45 : 4

وَٱللَّهُ أَعۡلَمُ بِأَعۡدَآئِكُمۡۚ وَكَفَىٰ بِٱللَّهِ وَلِيّٗا وَكَفَىٰ بِٱللَّهِ نَصِيرٗا

アッラー*はあなた方の敵を、最もよくご存知である。庇護者*としてアッラー*は万全であり、また、援護者としてアッラー*は万全である。 info
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46 : 4

مِّنَ ٱلَّذِينَ هَادُواْ يُحَرِّفُونَ ٱلۡكَلِمَ عَن مَّوَاضِعِهِۦ وَيَقُولُونَ سَمِعۡنَا وَعَصَيۡنَا وَٱسۡمَعۡ غَيۡرَ مُسۡمَعٖ وَرَٰعِنَا لَيَّۢا بِأَلۡسِنَتِهِمۡ وَطَعۡنٗا فِي ٱلدِّينِۚ وَلَوۡ أَنَّهُمۡ قَالُواْ سَمِعۡنَا وَأَطَعۡنَا وَٱسۡمَعۡ وَٱنظُرۡنَا لَكَانَ خَيۡرٗا لَّهُمۡ وَأَقۡوَمَ وَلَٰكِن لَّعَنَهُمُ ٱللَّهُ بِكُفۡرِهِمۡ فَلَا يُؤۡمِنُونَ إِلَّا قَلِيلٗا

ユダヤ教徒*である者たちの中には、(啓典の)言葉を(本来の)意味合いからすり替え、また(預言者*ムハンマド*に対し)その舌を歪め、宗教を誹謗して(こう)言う(民がいる)。「私たちは(あなたの言葉を)聞きはするが、(あなたの命令には)逆らう」。「聞いてみよ、聞きはしないだろうが」[1]。「私たちに配慮せよ」[2]。もし彼らが「私たちは聞き、従います」「(私たちのことを)聞いてください」「私たちを見守って下さい[3]」と言うのならば、それが彼らにとってより善く、より正しいのである。しかしアッラー*は彼らの不信仰ゆえ、彼らを呪われた[4]。彼らは、僅かばかりしか信仰しないのだから。 info

[1] つまり「私たちのことを聞け、でも私たちはあなたのことを聞かない」、あるいは「聞いてください」と口では言いつつ、心の中では「聞くな」と言っていた(アル=バガウィー1:641参照)。 [2] 雌牛章104とその訳注を参照。 [3] 雌牛章104と、その訳注を参照。 [4] 「アッラー*の呪い」については、雌牛章88の訳注参照。

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47 : 4

يَٰٓأَيُّهَا ٱلَّذِينَ أُوتُواْ ٱلۡكِتَٰبَ ءَامِنُواْ بِمَا نَزَّلۡنَا مُصَدِّقٗا لِّمَا مَعَكُم مِّن قَبۡلِ أَن نَّطۡمِسَ وُجُوهٗا فَنَرُدَّهَا عَلَىٰٓ أَدۡبَارِهَآ أَوۡ نَلۡعَنَهُمۡ كَمَا لَعَنَّآ أَصۡحَٰبَ ٱلسَّبۡتِۚ وَكَانَ أَمۡرُ ٱللَّهِ مَفۡعُولًا

啓典を授けられた民*よ、あなた方のもとにあるもの(トーラー*)を確証する、われら*が下したもの(クルアーン*)を信じよ。われら*が(不信仰の報いとして)顔を消し、それを後ろ向きにしてしまう前に。あるいは、われらが土曜日の人々[1]を呪ったように、彼ら[2]を呪ってしまわない前に。アッラー*のご命令はもとより、成し遂げられることになっているのだ。 info

[1] 「土曜日の人々」に関しての詳細は、雌牛章65、高壁章163-166とその訳注も参照。 [2] ここでの「彼ら」とは、一説には「顔を消され、後ろ向きにされた者たち」のこと。あるいは「イルティファート(転換)」と呼ばれる、アラビア語独特の修辞法によって、人称が二人称から三人称に変換しているのだ、とも言われる。つまりこのアーヤ*で啓典の民*は、イスラーム*の信仰へと招かれているが、信仰を拒否した場合の結果としての懲罰を、あえて彼らに直接結び付けて描写しないことで、その誘いをより効果的なものにしているのだという(アブー・ハイヤーン3:267-268参照)。

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48 : 4

إِنَّ ٱللَّهَ لَا يَغۡفِرُ أَن يُشۡرَكَ بِهِۦ وَيَغۡفِرُ مَا دُونَ ذَٰلِكَ لِمَن يَشَآءُۚ وَمَن يُشۡرِكۡ بِٱللَّهِ فَقَدِ ٱفۡتَرَىٰٓ إِثۡمًا عَظِيمًا

本当にアッラー*は、かれと共に(何かが)並べられること(シルク*)をお赦しになることはないが、それ以外のことは、御心に適う者にお赦しになる。アッラー*に対してシルク*を犯す者は誰でも、この上ない罪を確かに捏造しているのだ。 info
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49 : 4

أَلَمۡ تَرَ إِلَى ٱلَّذِينَ يُزَكُّونَ أَنفُسَهُمۚ بَلِ ٱللَّهُ يُزَكِّي مَن يَشَآءُ وَلَا يُظۡلَمُونَ فَتِيلًا

(使徒*よ、)あなたは、自分自身の清らかさを主張する者たち[1]を知らなかったのか?いや、アッラー*がその御心に適う者を、お清めになるのだ。そして彼らは、糸くず[2]ほどさえも不正*に扱われることがない。 info

[1] この主張が何かについては「雌牛章111、食卓章18にあるような言葉」「自分たちは子供のように罪がないということ」「ご先祖様が執り成してくれること」「お互いへの称賛」といった諸説がある(アッ=シャウカーニー1:762参照)。 [2] 原語では「ファティール」。ナツメヤシの実の種に付着した、細い糸状の物質。または、手や指をこすり合わせた時に出る手垢のこと。いずれにせよ、非常に微々(びび)たる物のたとえ(アッ=タバリー3:2269‐2270参照)。

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50 : 4

ٱنظُرۡ كَيۡفَ يَفۡتَرُونَ عَلَى ٱللَّهِ ٱلۡكَذِبَۖ وَكَفَىٰ بِهِۦٓ إِثۡمٗا مُّبِينًا

(使徒*よ、)見よ、彼らがアッラー*に対して、いかに嘘をでっち上げているかを。それだけで十分、明白な罪に値するのだ。 info
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51 : 4

أَلَمۡ تَرَ إِلَى ٱلَّذِينَ أُوتُواْ نَصِيبٗا مِّنَ ٱلۡكِتَٰبِ يُؤۡمِنُونَ بِٱلۡجِبۡتِ وَٱلطَّٰغُوتِ وَيَقُولُونَ لِلَّذِينَ كَفَرُواْ هَٰٓؤُلَآءِ أَهۡدَىٰ مِنَ ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ سَبِيلًا

(使徒*よ、)あなたは知らなかったのか?啓典を幾ばくか授けられたにも関わらず、ジブトとターグート[1]を信じ、不信仰者*たちに対して「これらの者たち(不信仰者*)は信仰する者たちよりも、より正しい道に導かれている」と言う者たちを? info

[1] アッ=タバリー*によれば「ジブト」と「ターグート*」とは、アッラー*を差しおいて崇拝*されたり、従われたりする全ての対象のことである。その意味では偶像もシャイターン*も、魔術師も巫女(みこ)も、あるいはアッラー*とその使徒*に対する不信仰と敵対行為において指導的役割を担っていた者たちも、全てこの中に含まれることになる(3:2371-2374参照)。

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