[1]「崇拝*」だけでなく、アッラー*のお力添えがなければ何事も叶わない。イブン・カスィール*は「(このアーヤ*の)前半部分では、アッラー*に何か他のものを並べることとの決別が、そして後半部分では、自らに何らかの力が備わっているとすることの決別と、アッラー*のみに全てを委ねることが命じられている」とし、この意味こそが「開端章はクルアーン*の奥義(おうぎ)であり、開端章の奥義がこのアーヤ*である」という先人たちの言葉の所以(ゆえん)であるとしている(1:70参照)。
[1] 婦人章66-69も参照。 [2] 「お怒りを受ける」者たちとは、知識を預かってはいても、それに沿って行わなかった当時のユダヤ教徒*、および彼らと同様の状態にある者たちのこと。また「迷う」者たちとは、無知ゆえに導かれず、正しい道から迷い去ってしまった当時のキリスト教徒*、および彼らと同様の状態にある者たちのこと(前掲書、同頁参照)。
[3] 礼拝中かどうかに関わらず、開端章を読み終えた後には、「アーミーン(アッラーよ、聞き届けたまえ)」と唱えることが薦(すす)められている(前掲書、同頁参照)。