[1] ここでの「害」は、施した相手に対し、引け目を感じさせるような言動によるものであるとされる(ムヤッサル44頁参照)。 [2] 「怖れもなければ・・・」に関しては、アーヤ*38の訳注を参照。
[1] 「適切な言葉」とは、乞う者に対して善い言葉で応じることや、その時は要望を叶えられなくても、後にそれを叶えることを約束すること(夜の旅章28とその訳注も参照)、あるいは彼のために祈ってやること。「赦し」とは、他人の窮乏(きゅうぼう)や過(あやま)ちを隠しておいたり、不正*を行った者を赦したり、物乞いが出すぎた態度をとっても大目に見てやったりすること(アル=バガウィー1:360参照)。
[1] アッラー*はのためではなく、人目や評判などを目的とした行為は、「リヤーゥ」と呼ばれる。預言者*ムハンマド*はムスリム*の「リヤーゥ」を「小さなシルク*」と表現した(アフマド23686参照)。なぜならそれは、崇拝*行為や善行をアッラー*だけのためではなく、人々の自分に対する賞賛のためにすることになり、その結果、来世におけるアッラー*の褒美を禁じられるからである(イブン・バッタール1:113参照)。 [2] 他人に見せびらかすために善行を行う者の心は、この岩のように硬く、施しをはじめとした彼の善行は、その表面の土のようである。無知な者は、それが農作に適した良い土地だと考える。しかし真実が暴(あば)かれれば、その土はなくなり、そこでの労働が無駄(むだ)であったこと、そこが農作には適していなかったことを知ることになる(アッ=サァディー113参照)。イムラーン家章117、イブラーヒーム*章18、御光章39-40、識別章23も参照。 [3] アッラー*は、不信仰者*が施しやその他 のことにおいて、真に正しい形で行うことをお助けにはならない、ということ(ムヤッサル44頁参照)。