വിശുദ്ധ ഖുർആൻ പരിഭാഷ - ജാപ്പനീസ് പരിഭാഷ - സഈദ് സാറ്റോ

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158 : 6

هَلۡ يَنظُرُونَ إِلَّآ أَن تَأۡتِيَهُمُ ٱلۡمَلَٰٓئِكَةُ أَوۡ يَأۡتِيَ رَبُّكَ أَوۡ يَأۡتِيَ بَعۡضُ ءَايَٰتِ رَبِّكَۗ يَوۡمَ يَأۡتِي بَعۡضُ ءَايَٰتِ رَبِّكَ لَا يَنفَعُ نَفۡسًا إِيمَٰنُهَا لَمۡ تَكُنۡ ءَامَنَتۡ مِن قَبۡلُ أَوۡ كَسَبَتۡ فِيٓ إِيمَٰنِهَا خَيۡرٗاۗ قُلِ ٱنتَظِرُوٓاْ إِنَّا مُنتَظِرُونَ

一体彼らは、天使*たちが自分たちのもとに到来するか、またはあなたの主*が御出でにになるか、あるいはあなたの主*の御徴の一部が到来する[1]まで、待っているというのか?あなたの主*の御徴の一部が到来する(復活の)日*、(それ)以前に信仰してはいなかった、あるいはその信仰において善を稼ぐことのなかった者の信仰が、自らを益することはない[2]。(使徒*よ、)言ってやるのだ。「(その時を)待っているがよい。本当に私たちも、待つ者となるから」。 info

[1] この「天使*たち」とは、死期が訪れた時に人の魂を召す「死の天使*」のこと。「アッラー*が御出でになる」とは、復活の日*にアッラー*が僕(しもべ)たちをお裁きになるために御出でになること、「主*の御徴の一部の到来」とは、太陽が西から昇るなどの復活の日*の予兆のことである、とされている(前掲書150頁参照)。 [2] 預言者*ムハンマド*は仰(おっしゃ)った。「太陽が西から昇る時、全ての者は信仰する」(アル=ブハーリー4635参照)。そしてこの時、不信仰者*が信仰しても意味はない。一方、既に信仰者であった者は、その時に正しい行い*を行っても意味がなくなる(ムヤッサル150頁参照)。信仰は、自分自身の選択によって、不可視の世界*を信じることで有効となる。全ての物事が明らかになった時、無理強いされたに等しい状態で信仰しても、意味はない(アッ=サァディー281頁参照)。婦人章18、ユーヌス*章90-91、99、詩人たち章4とその訳注、赦し深いお方章84-85も参照。

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159 : 6

إِنَّ ٱلَّذِينَ فَرَّقُواْ دِينَهُمۡ وَكَانُواْ شِيَعٗا لَّسۡتَ مِنۡهُمۡ فِي شَيۡءٍۚ إِنَّمَآ أَمۡرُهُمۡ إِلَى ٱللَّهِ ثُمَّ يُنَبِّئُهُم بِمَا كَانُواْ يَفۡعَلُونَ

本当に、自分たちの宗教を分裂させ、分派となった者たち[1]、(使徒*よ、)あなたは彼らと全く無縁である。彼らのことは、アッラー*にこそ帰されるのだ。その後、かれは彼らがしていたことについて、彼らにお告げになる。 info

[1] これは、人々がアッラーの唯一性*と、その教えの実践において団結した後に、その宗教を分裂させる者たちのこと(ムヤッサル150頁参照)。

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160 : 6

مَن جَآءَ بِٱلۡحَسَنَةِ فَلَهُۥ عَشۡرُ أَمۡثَالِهَاۖ وَمَن جَآءَ بِٱلسَّيِّئَةِ فَلَا يُجۡزَىٰٓ إِلَّا مِثۡلَهَا وَهُمۡ لَا يُظۡلَمُونَ

(復活の日*、)誰であろうと、一つの善行と共に(主*の御許へ)やって来た者、彼には、その十倍(の褒美)がある。そして誰であろうと、一つの悪行と共に(主*の御許へ)やって来た者、彼はそれと同等の報いしか受けない。彼らが不正*を被ることはないのだ。 info
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161 : 6

قُلۡ إِنَّنِي هَدَىٰنِي رَبِّيٓ إِلَىٰ صِرَٰطٖ مُّسۡتَقِيمٖ دِينٗا قِيَمٗا مِّلَّةَ إِبۡرَٰهِيمَ حَنِيفٗاۚ وَمَا كَانَ مِنَ ٱلۡمُشۡرِكِينَ

(使徒*よ、)言うのだ。「本当に我が主*は、私をまっすぐな道(イスラーム*)へとお導きになった。正しい教え、純正[1]なイブラーヒーム*の宗教へと。彼はシルク*の徒の類いではなかった」。 info

[1] 「純正」については、雌牛章135の訳注を参照。

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162 : 6

قُلۡ إِنَّ صَلَاتِي وَنُسُكِي وَمَحۡيَايَ وَمَمَاتِي لِلَّهِ رَبِّ ٱلۡعَٰلَمِينَ

言え。「本当に私の礼拝も犠牲も、生も死も、全創造物の主*アッラー*のためのみ。 info
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163 : 6

لَا شَرِيكَ لَهُۥۖ وَبِذَٰلِكَ أُمِرۡتُ وَأَنَا۠ أَوَّلُ ٱلۡمُسۡلِمِينَ

かれには(その唯一性*において、)いかなる同位者もない。私はそれ[1]こそを命じられたのだ。そして私は(我が共同体において)、服従する者(ムスリム*)の先駆けなのである」。 info

[1] つまり、アッラーの唯一性*信仰の子と(ムヤッサル150頁参照)。

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164 : 6

قُلۡ أَغَيۡرَ ٱللَّهِ أَبۡغِي رَبّٗا وَهُوَ رَبُّ كُلِّ شَيۡءٖۚ وَلَا تَكۡسِبُ كُلُّ نَفۡسٍ إِلَّا عَلَيۡهَاۚ وَلَا تَزِرُ وَازِرَةٞ وِزۡرَ أُخۡرَىٰۚ ثُمَّ إِلَىٰ رَبِّكُم مَّرۡجِعُكُمۡ فَيُنَبِّئُكُم بِمَا كُنتُمۡ فِيهِ تَخۡتَلِفُونَ

(使徒*よ、)言ってやるがいい。「一体、私がアッラー*以外を(、崇拝*の対象である)主*として欲することなどあろうか?かれは、全てのものの主*であられるというのに。いかなる者も、自分で(その罪を)背負うことなしに、(悪行を)稼ぐことはない。また(罪の)重荷を背負う者は、他の者(が犯した罪)の重荷まで背負うことはない。それから、あなた方の主*の御許にこそ、あなた方の帰り所はあるのだ。そしてかれは、あなた方が(宗教上のことで)意見を異にしていたことについて、あなた方にお告げになる。 info
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165 : 6

وَهُوَ ٱلَّذِي جَعَلَكُمۡ خَلَٰٓئِفَ ٱلۡأَرۡضِ وَرَفَعَ بَعۡضَكُمۡ فَوۡقَ بَعۡضٖ دَرَجَٰتٖ لِّيَبۡلُوَكُمۡ فِي مَآ ءَاتَىٰكُمۡۗ إِنَّ رَبَّكَ سَرِيعُ ٱلۡعِقَابِ وَإِنَّهُۥ لَغَفُورٞ رَّحِيمُۢ

かれは、あなた方を地上の継承者[1]とされ、かれがあなた方にお授けになったものであなた方を試みられるべく、あなた方の内のある者を別の者よりも高く位置づけられたお方[2]。本当に(使徒*よ、)あなたの主*は、即座に懲罰を下されるお方。そして、実にかれはまさしく、赦し深いお方、慈愛深い*お方である。 info

[1] 「地上の継承者」とは、アッラー*への服従において地上を開拓すべく、アッラー*が滅ぼされた民の後を継いだ者たちのこと(前掲書、同頁参照)。あるいは、地上の開拓を世代から世代へと受け継いでゆく者たちのこと。(イブン・カスィール3:384参照)。 [2] つまり、人々を形質、糧、能力、体力、徳、知識などにおいて、千差万別にされた。それは富める者がその富ゆえに感謝するかどうか、貧しい者がその貧しさに対して忍耐*するかどうかというようにして、人々が褒美(ほうび)、あるいは罰を得るようにするためである(アル=クルトゥビー7:158参照)。金の装飾章32とその訳注も参照。

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